およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

禅問答

やらかし、のちの怒られ、のちの腹痛(はらいた)である。

 

よくお腹をこわす。緊張するとお腹が痛くなるし、緊張していなくてもお腹が変なときがある。最近はとくに、お腹がへんだな〜へんだな〜それともこれ普通?みたいな感じ。

 

タバコを吸いすぎているのかもしれない。休職している期間、よく吸うようになった。口さみしいのかしら、と思って、真剣におしゃぶりしようかと思ったが、やめた。誰に会わないとしても、いくらなんでもそれは。自分の中の自分がそっと制止している。

 

誰に会うわけでもないのに、一応着替えている。パジャマのままで居たっていいのだけれど(現に同居人1はリモートワークということで、パジャマというか、スエットのまま仕事をしている)、パジャマのままだと、なんというか、あまりにもあまりにも、なので、せめて着替えるようにしている。そしてその上から着る毛布を羽織って、いつでも眠れる体制にしている。着替えていることの意味よ!

 

でも、一応着替えておくと、よいこともある。ひょいと散歩やら買い物やらに行けるし、突然の宅急便訪問にも驚くことなく対応できる。一応、着替えるということで、「社会」に少し参加できるのだなあと思う。たったそれだけのことだけれども、やらないよりやったほうがよいので、よくできていると自分を褒める。

 

お腹が痛かったり、体のどこかが具合が悪かったりすると、ほっとする。わたしだけだろうか。そうすると、「今日はもうなにもしなくていいですよ〜」と、どこかの誰かからお許しを得た感じになる。ええっ、今日はもうなにもしなくていいんですかっ、そうですよね、だってお腹が痛いんですもの…という気持ち。そうそう。

 

体の具合が悪ければ、布団に堂々と寝そべっていてもよいし、何度寝だってしてもよい。だって体の具合が悪いのですから!おほほ!という風に思えるのだろう。

 

本当は、体の具合が悪くなんかなくても、今ならいつだって、わたしは、何度寝だってしてもよいのだ。ただなんとなく、座りが悪いというか、そうするほど開き直れないだけで、本当は、いつだって寝ていいし、いつ起きたっていいし、何もしなくても怒られないのだよ、と、思う。

 

こういうことを、何も考えずにできるようになったなら、それは少しずつ「元気になっている」ってことなんだろうな。何もしないを、何も考えないでできるようになる。ふむ。禅問答みたいだなあ。