およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

良いことへのきもち

昨日良いことがあった。うまくいくかどうかはまだわからないので、ちょっと詳しく書くことは避けておく。詳しく書くことで、自分にとってのハードルがあがってしまったら元も子もない。元も子もないって、昨日も使ったなあ。

 

昨夜はなかなか寝付けずにちょっと苦しんだ。こういうことは書き散らして虚空に放ってしまうほうが良い。恐怖の正体は、飲み込んでいるとどんどん大きくなる。だからぱっと外に放してしまうことにする。

 

部屋の暗闇に、突然どんどん飲み込まれるような気持ちになった。背中がむずむずして、もんどりうって、ちょっと冷や汗をかいた。いつもの部屋なのに、不思議だ。何ひとつ怖いことが起こったわけではないのに、いつもの部屋なのに、なぜだかじっとしていられず、落ち着くお薬を飲んで、少し本を読んでいるうちに、いつのまにか眠っていた。

 

そう、どんなに怖くても、お腹はすくし、眠くもなるし、眠ればきちんと朝がくる。そうして今日また目が覚めて、今日は燃えるゴミの日だから家中のゴミを集めて出し、昨夜の洗い物をして、風呂に入って、洗濯をまわして、今こうして日記を書いている。

 

どんなに怖くても、ちゃんと次の日がきて、ちゃんと一日が過ぎていく。これを覚えておきたい。怖いのは怖いけれども、それで死んでしまうようなことはないから、どうか安心したまえよ。大丈夫だよ、自分。怖かったね。でももう大丈夫。ちゃんと今日が来たよ。えらかったよ。

 

昨日あった良いことは、同居人1、同居人2から反対されていることで、反対してくれるのは心配してくれているからで、それがなんとも有り難いなあと、しみじみ思っている。そんな風に言ってくれている人と暮らせていることが、もう幸運なので、やはり底を打っているこの日々も、わたしはラッキーだなあ、と思わせてもらえる。ラッキー極まりないから、今こうして生きている。怖くても生きている。よかったね、自分。

 

新しくはじまる日々は、また怖いことがたくさんあるだろうなあと思う。でも、こんなに自分に期待しないで新しい日々を始めるのは、生まれてこの方、今回がはじめてのことだ。期待できないほど底を打った日々の先に、新しい日々が待っており、それはもうおっかなびっくりやっていくしかないけれども、等身大の自分で新しい日々を迎えるより他に方法はなく、それをこそわたしはずっと求めていたのかもしれないなあと、今、書いていて思った。

 

多分新しい日々を上手に過ごすことは無理だろう。傷つくし、混乱するし、おどおどするし、ビビりまくって過ごすことだろう。けれども、いくら怖くても、生きていればお腹はすくし、眠くなって眠るし、眠れば次の日がくる。その繰り返しを、少しずつ少しずつ積み重ねていくより他はないから、これで良いのだと思う。

 

 

そう、これで良い。自分で決めるしかないのだから、これで良い。むしろ、盛大にすっ転べばいいとさえ、思っている。盛大にすっ転んだら、もう色々諦めもつくだろうし、諦めたからって人生終わらないからまた道を探すだろうし、新しい日々に身を任せなければ、「転ぶかどうか」さえもわからないままだ。

 

転ぶことが怖くて、怖いから頑張って、結局おおいにすっ転んできた日々だった。

だからもう最初から転ぶこと前提で生きていくことにしてみてはどうか、と、今思っている。転ぶこと前提にしておけば、転びそうになったときに、どう転ぶのか、どう受け身をとるのか、転びそうな気配はないか、考えていけるような気がする。

 

あいまいな気持ちが、体中を巡っており、多分そのせいで背中がむずむずするんだろう。いいよいいよ、盛大にむずむずすればいいよ。むずむずするのは、仕方がないよ。怖いなあと思っているのだから、仕方ないよ。でも大丈夫だよ。怖くても、ちゃんとお腹はすくし、眠くなるし、眠ったらまた、次の日がやってくるよ。