およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

バンザイしてお手上げ

今週のお題「今月の目標」について、こんな記事を書いた。

 

aruharukano-ofumi.hatenablog.com

 

この目標は今日そうそうに取り下げだ。10月にはいってまだ6日。今日は10月6日。わたしはいま家にいる。ということは?そうです、休みました。

 

なぜって、昨日の仕事中にぎっくり腰をやってしまったから。

 

ぎっくり腰って気が付かなかったのがいけなかった。昨日の仕事中に腰の違和感を覚え、でも動けないわけではないので、痛いけれどもそのまま最後まで仕事をやった。帰りも歩いて帰ってきたわけだが、どんどん痛みは増し、そのうち何かに捕まらないと立ち上がれなくなり、寝返りが打てなくなり。これが噂のぎっくり腰か、と、痛みに悶々としながら一夜を過ごした。

 

昨日の日中に「あ、こりゃもうだめだ」と諦め、素早く欠勤の連絡を入れた(当たり前のように返事はなかった)。上司にとっちゃ、鬱で休もうがぎっくり腰で休もうが、休みは休みなので、どっちでも同じなのである。わたしだってそう思う。というか、信じてもらえないだろうな、と思っている。こればかりはもう仕方がない。だって先月7日間も休んだんだもの。そりゃぎっくり腰って言ったって、「はいはい、休みたいんでしょ」ってなるのが人間ってなもんである。

 

なんだか、もう開き直ってしまった。申し訳ない気持ちは十分にある。申し訳ない、申し訳ない、と思いながら、なんとかやったのが9月だった。でも7日間休んだ。それが精一杯だった。そうして10月に入って、よし今月は頑張るぞ、と気持ち新たにした矢先、ぎっくり腰なのである。

 

もうこりゃどうしょうもないことだな、と、すとんと諦めがついた。

 

どう思われてるか、いくら気にしても、相手の気持ちなんて一生わかりっこない。他人なのだから仕方ない。だから事実だけに目を向けると、もう、完全にわたしは「戦力外通告」なのである。いくら「休んでもいいよ」と言ってくださったって、ものには限度ってものがあり、その限度を超えてしまうくらい、休まないと働けないし、休まないようにしよう!と思った矢先に腰を痛めるし、わたしですらもわたしに「もうお手上げ」なのである。限度を超えてしまう人間は、残念ながら労働の場にはふさわしくない。それはもう当然のことであるから、わたしはこんなにも今、腑に落ちている。もう辞めよう、と、すっきりとした気持ちで思っている。

 

辞めるも迷惑、辞めないも迷惑、だったなら、辞めてあたらしい方を募集して頂いたほうが100倍良いと思う。その方は少なくともわたしよりは健康かもしれないし、同じ程度に仕事をやれる人かもしれない。どんな人でもできる仕事内容だから、概ねの人が働こうと思えば働ける職種なのだから、わたし自体に執着する必要なんて、これっぽっちもないのである。

 

だから、欠勤の連絡とともに、何度目かの退職希望を伝えた。多分これで3回目、もしくは4回目の退職希望だ。何度も何度も、配慮して引き止めてくださって、仕事をさせてもらっていたけれども、こりゃもう、どうしょうもない。自分で自分にそう思うし、上司もさすがに「どうしょうもない」と思ってくれたのではないか。

 

「諦めて前に進みたい」という、へんな言葉が頭の中をまわっている。

 

「諦める」のに「前に進む」ってなんだかおかしいし、そんなきれい事じゃなくて、実際に迷惑をかけている、及び退職によって迷惑をかける、のだから、ど阿呆なこと言ってないで現実見ろよ、とも思うのだが、現実を見れば見るほどに、「もうこりゃどうしょうもない、ここではこれ以上どうしょうもない」という事実が浮き彫りになってくる。だから、「諦めて前に進みたい」のである。

 

明日も腰の具合で、出勤できるかわからない。朝起きたときはよかったけれど、しばらく動いていると、どんどん立ち上がれなくなってくる。もうお手上げである。潔くバンザイして、降参する。今日の風はとっても気持ちがよいので、バンザイの両手を、するりするりと通り抜けてゆく。