慣れてきたこと、思い出したこと
時間が経つことに、慣れてきたみたいだ。
時間が経たない、時間が経たない、と、そわそわそわそわ、動き回る元気もないのに落ち着かない気分でいることが多かったけれど、ここのところ、気がついたら夕方か、という日が増えてきた。
何をしているわけでもない。有益なことも無益なことも、両方ともしていない気がする。
本を読んだり、ポケモンをやったり、ツムツムをしたり、散歩をしたり、洗濯物があれば洗濯をして、洗い物があれば洗い物をして、元気があればごはんを作り、昼寝をしたり、たまにギターを弾いて(コードがずらっと並んでいる表を見てコードを押さえるだけ、曲は弾けない)、ラジオを聴いてみたり、目を瞑って横になっていたり、している。
こうやって書き出してみると、何某かしていることがあるものだな、と思う。
横になって目を瞑っている時間が主なように思えていたけれど、実は細々と何某かをしているようだ。
横たえるしかない日もあったから、これは、少し元気が戻ってきたということなのだろうか。
今日、夕暮れ時の街を歩道橋から眺めているとき、胸の奥底をくすぐられている感じがして、懐かしい思いがした。
ほんのすこし前までは、歩道橋からの夕暮れや、電車の車窓や、自室のカーテンを揺らす風や、夜の静けさや、なんやかんやに胸の奥底をくすぐられて、言葉がわあっと出てきたものだった。
今、その感覚は、はるかはるか遠くにいて、今日久しぶりに思い出すまで、忘れていた。
いつでも湧き出るように胸の奥底にあって、尽きることはないと思っていたそれは、いつのまにか忘れてしまえるくらいのものに、なっていた。
でも、少しだけ感じる。形にはならない、肌で感じるものがある。目を瞑っていると、それがちいさくちいさく息をしているのが、わかる。言葉になるまえの、言葉にならない、わあっとした、気持ち。
その気持ちを感じる。いまの季節に吹いている風には、その気持ちを呼び起こす匂いが、ある気がする。