およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

雲が多めの日

仕事を辞めて1日目。晴れて無駄に元気なニートとなる。

ほんの一週間前は初日勤務でどきどきしていたというのに、今週はもう無職である。どんなスピード感で人生が進んでいるのか、自分でも呆れてしまう。

 

わたしは「待つ」ということが苦手のようだ。ぽっかり時間があくと、「何某かをせんといかん、いかん気がする」と気が急いて、要はそれは多分「躁」の状態なのだけれど、そうすると、猛然と職探しをはじめ、気持ちが昂り、おお、こここそわたしがやりたかった仕事だ、みたいな気持ちになり、突撃する。

 

自分で言うのもなんだけれど、見た目はごく普通、おとなしそう、まじめそう、という特徴しかないし、面接で話すときはなぜだか落ち着いているので、面接官の方に信用していただけるのだった。多分それがよくない。こころの中では、面接の段階で、「本当にできるのだろうか」という気持ちが頭をもたげている。

 

これでも以前は一応働けてはいたのだ。しかして、どこも、各所2、3年で辞めている。煮詰まってくる人間関係に心が疲弊し、体が反応を出しまくり、どこもかしこもそれ以上居られた試しはなかった。

 

こんな言葉、使いたくないのだけれど、労働にほとほと向いていない人間なのだろうと思う。そして、それを開き直れる程、芸があるわけでもない。かようにして、無駄に焦りを募らせる無職が出来上がるわけである。

 

こういう人間になる、という予兆は、おそらく子どもの時から、あった。わたしはとにかくいつも何かに怯えていた。怖がっていた。怖くない、と思って過ごせた時間のほうが、多分少ないのだ。確信的に「怖い」という気持ちを認識していない時でさえ、子どもの夜驚症のように夜中に「怖くて」目が覚めたり、手が震えたり、過呼吸になったり、なんだか色々していた。

 

それでもバンド活動はたのしくて、でもライブはいつでも怖かった。始まってしまえば楽しいのだけれど、楽しいの気持ちに全ライドできない日々も、あった。歌をうたっているのに頭がすぅっと冷えていく、あの感じ。手が動かない、あの感じ。それでも楽しいときがその恐怖を上回っていたので、10年も続けられたのだと思う。楽しいときの、アドレナリン全開で、もう何もここに怖いことはないぞ、と感じられた時の開放感たるや、今やもう思い出せない。思い出せはしないけれども、確かにそれを感じた瞬間があるというのは、わたしの支えになっている。

 

今日は、就労継続支援のことを調べてみようと思っている。今回の5日間にわたる一般就労で、ほとほと目が覚めた。やはり、腰をすえて、この「怖がり」と向き合わなければならないのだ。

 

こころの先生に、言われた言葉がある。この病気をずっと抱えて生きてきたみたいだから、治るまでには、それと同じくらいの時間をかけるつもりで、ゆっくり治療していきましょうね、という言葉。ということは、10代後半からあしかけ20年ほどこの「怖がり」を抱えてきたので、「怖がり」と仲良くなるまでは、それくらいの時間がかかるかもしれないよ、ということだ。

 

20歳まで生きられないかもな、と思った、10代後半の自分をふと思い返す。今、こうして情けないながらも生きており、すったもんだで転びまくって無職の34歳だけれども、一応生きているから、10代後半の自分に、お前意外としぶとく生きているよ、人に恵まれたおかげで、生かしてもらっているよ、なんとか頑張れよ、と言葉をかけてやりたい気持ち。

 

今日も今日とて、持て余し気味の時間のなかで、右往左往する。すっきり晴れない雲が多めの天気は、まるでわたしのこころのようだ。なんつって。