ど阿呆の反省文2
また、やらかしが発生した。発生した、って他人事のように言っているけれど、やらかしたのはわたし。やらかし、のちの、怒られ。やらかして、怒られが発生するのは、ありがたいことこの上ないのだ。怒られるということは、気にかけてくれているということで、怒られが発生してはじめて、自分の支離滅裂さを知る。
また面接に応募してしまったのである。これはなんという病気ですか?
わたしはつい先週仕事を辞めているはずだ。辞めたばかりなのだ。休む期間なのだ。なのに、ついつい、もう大丈夫かもしれない、つぎは大丈夫かもしれない、と思って、応募してしまう。どうしてだろう。お金がないから、時間が余りすぎていて苦痛だから、人並みに働きたいから、次々と理由は出てくる。多分どれも本当に思っているけれど、「状況から考えたらおかしい」という判断だけが、なぜか頭からぽろっと抜け落ちている。
だから病気なのだ。
全般性不安障害というのは、厄介きわまりない。不安だから、それを回避する行動をする。働いていて不安で仕方なくて辞めて、休んでいて不安で仕方なくて応募する。そしてまた不安になって逃げて、不安になって逃げて。この繰り返しで、社会生活がだめになってゆく。
同居人1、2に揃って怒られる。同居人1は怒り、同居人2は爆笑していた。笑われてはじめて目が覚める。同居人2曰く、わたしの今回の行動は「コメディドラマ」だそう。
あれでしょ、面接受けるところが最大の山場で、次週、もう辞めるか、もう辞めるんじゃないかって、視聴者の期待を裏切らないタイプのやつでしょ、それもうコメディ・ドラマじゃん。っていうか、ザ・ノンフィクション、みたいな。
とのこと。ぐうのねも出ない。そのとおりである。
同居人1は、静かにわたしに言う。あのね、わかってる、自分の言動と行動がめちゃくちゃなこと。お金が足りないなら渡すし、休むってさんざん話して決めたんでしょ。ひとのいうこと聞かないったらありゃしない。もうそんなんだったら、どうなっても知らないよ。思うようにやりたきゃやればいいけど、支離滅裂だからね。ふつうに考えてごらんよ。コロコロコロコロ、言うこと変わってるの、気づいている?
とのこと。こちらにもぐうのねも出ない。そしてわたしはおいおい泣いた。
だって、2人みたいにわたしだって働きたいんだよう。働かないと、休みの日なんて、ちっとも楽しくないんだよう。わたしだってみんなみたいに、普通に働きたいよう。休んでたって、ちっとも楽しくなんかなりゃしない。なにかやることを、わたしにおくれよう。なにもやることがないんだよう。動画みたって、映画みたって、テレビみたって、本読んだって、ちっとも楽しくないんだよう。何すればいいの、何すればいいのさ、うおおん、うおおん。
と、ひとしきり泣いたところで、すっきり。
何すればいいもなにも、したいことくらい、自分で見つけなさい。
と、同居人1がぴしゃりと言う。そのとおり。
かようにして、休むこともとにかく下手なのだ。不安にばかり振り回されて、ゆっくりすることも、働くことも、どちらも続けられない。どうにもこうにもお手上げなのである。
でも、いま働くことはやっぱり違うんだな、ということはよくわかった。予約してしまった面接は、明日お断りの連絡をすることにする。そして今日、きれいな字を練習するためのドリルを買ってきた。あと、読みたかった本を1冊買った。この2つで、しばらくは時間を潰そう。みんなどうやって生きているのかなあ。生きていくって、むずかしい。なんて贅沢な悩みだこと。