およぐ、およぐ、泳ぐ

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「さよならだけが人生だ」と出会う

radiotalkでも話したけれど、「名詩の絵本」(ナツメ社・川口晴美・編)に載っている、「勧酒」という詩に胸を打たれた。

 

radiotalk.jp

 

名詩の絵本

名詩の絵本

  • ナツメ社
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井伏鱒二の訳がとても素晴らしく、ポップソングのど定番「さよならだけが人生だ」のフレーズは、ここから来ていることを知った。

 

大本の詩は、唐の時代の詩人、于武陵(うぶりょう)の漢詩で、それを井伏鱒二がこのように素晴らしい訳をつけている。はるか彼方の遠い昔から、今のポップソングまで脈々と受け継がれる「さよならだけが人生だ」というフレーズの強さを思う。

 

そして、井伏鱒二が、わたしの自宅そばで晩年まで過ごしていたこともついでに知る。なんということか。「名詩の絵本」には100の詩が収められており、その中で、ぐっと刺さった詩の訳者が、わたしの自宅そばで言葉を書いていたとは。しかもその訳した言葉は、音楽もやっている自分にとって馴染み深い言葉で、さらに勝手な縁を感じた。正直に言うと、超興奮した。

 

現代詩が好きで読んでいる自分、音楽が好きで作っている自分、全部が合わさった自分が、この場所にいつのまにか呼び寄せられたのか、と思った。そしてそれがとても嬉しかった。勝手にこの場所への思い入れを新たにした。正直に言うと、一生ここに住んでやるぞ、くらい興奮した。

 

自分が住まう場所について、賃貸住宅ならば特に、なんの思い入れも持っていないし、周辺の土地の歴史なんて自分には関係がないと思っていたけれど、自分を構成する諸々の事々が、この土地に密接に関係していることを知り、感慨にふける。

 

土地とは、なんなのだろうか。18まで過ごした町を出て、東京にたどり着いて最初に住んだのは、ここから少し離れたところだった。一度だけ引っ越しをして、あとはずっと今の場所にいることを思うと、ただの偶然とはいえ、この場所に呼ばれた、と思いたくもなる。言葉を、音楽を、詩を、やりたいんでしょ。だったらここに来なさいよ、とでも言われているような気持ち。

 

そう思うと、この街の姿が全く変わって見えてくる。なんて現金なんだろうと思うが、今日この目にうつるこの街は、昨日までとちがう。井伏鱒二もこの道を歩いていたのかも、この景色を見ていたのかも、三好達治もここで言葉を考えていたのかも、と、街が歴史を帯びて、昔と今が交わり、立体的になる。知るはずのない彼らがいた時代に思いをはせる。

 

今は、この場所から富士山は見えない。けれど、彼らがいた時代はまだ、ここから富士山が見えたそうだ。

 

部屋から富士山を見遣り、この街の空気を吸って、言葉を書いていた文士たち。わたしもその場所にいて、同じ空気を吸っていることの不思議。まるで人生が集約されていくような気がした。流れにのってここに来たのだな、と、不思議な納得をする。

 

何十年前の秋の日、このように金木犀は香っていただろうか。まだビルのなかった、こんなにも家々がなかったこの街の空気は、どんな香りがしただろうか。どんな音がしただろうか。四畳半の自分の部屋で、彼らの部屋の空気を思う。