およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

ひと区切り、ひと区切り

この2、3日臥せっていた。臥せっている、ってかっこいい。要はずっと寝ていたってこと。物理的に腰が限界になると、むずむずすることを知った。腰が痛いを通り越して、固まりがピークに達すると、どうやら「むずむず」するらしい。昨夜はむずむずが気になりすぎて、無駄に足をバタバタさせていた。そのうちに眠った。

 

少し熱が出たり、扁桃腺が膨らんだりした。よもやのコロナかと慌てたけれど、息も苦しくないし、味もしっかりするし、何より咳が出ないので、どうやらコロナではない。辛い思いをして2回もワクチンを打ったのは、無駄じゃなかったのかも。でも、3回目を打てと言われたら、それは全力で躊躇する。それくらい副反応がしんどかった。コロナにかかりにくい、という利益、コロナにかかったとしても軽症で済む、という利益は十分にわかっているけれども、3回目を打つとなったら、それはそれで気合いが要るものだなあと思う。

 

寝ている間にも、本を読んだりした。そういえば週末は少しだけ出歩いたのだった。ポイントが貯まっているから好きな本を買ってあげるよ、と言われて、お言葉に甘えて「東京の生活史」を買ってもらった。鈍器のように分厚い。150人もの人々の「語り」が収録されている。手に入れてからちみちみ読んでいる。もう何人分の「語り」を読んだだろうか。どれひとつとして同じではなくて(当たり前なのだけれど)、同じでないことにえらく驚く。市井の人々が持って生きている「語り」のちから。今日すれ違ったあの人にもこの人にも、隣に住んでいるあの人にも、こんな風に膨大な「語り」が潜んでいるのかと思うと、世の中の圧倒的な複雑さにあたまがくらくらする。そしてわたしにももちろん「語り」はあって、それは、こうした日記によって、ぶつぶつと呟かれてゆく。

 

「東京の生活史」を読んで、ああ、わたしはひとの話を聞くことが好きなんだろうなあ、と思った。だからはてなブログもnoteも好きだし、エッセイが好きだし、その延長線上に現代詩もある気がする。小説だってあるひとつの「語り」ではあるのだけれど、それよりも、もっと属人的な、その人固有の「語り」が好きなのだ。起承転結はどうでもよく、そもそもそれは自然となぜか含まれているものだから、そういうものを延々と読んでいたい、と思う口なのかもしれない。

 

「東京の生活史」を読んでいると、まるでラジオを聞いているような気持ちになる。問わず語りというか、誰かがお話しているのを静かに聞いている感じ。たまににやにやしながら、真剣になりながら、聞いている。お話を聞いている、という感じの読後感というのは不思議だ。まさしく「語り」なのだろうな、と思う。

 

寝ていても、「東京の生活史」を読むとだれかのお話を聞いているような感じがして、安心する。目が疲れない限り、ぼおっと浸っていられる。「東京の生活史」はそんな本だと思う。

 

 

※※※

 

 

たくさんの人の語りを読んだり、ブログを読んだりして、自分の今持っている時間のことを思った。わたしは今療養中で、この2、3日のように臥せったり、今日のように元気に外を歩き回ったり、している。そして、メンバーの2人も、期せずしてなぜか、「人生」というものが少しずつ動き出している。

 

わたしも療養中ではあるけれど、自分の人生がある方向に向かって動き出しているように感じる。それは、これまでとは違う流れを汲んでいて、まだどこに向かうかはわからない。けれど、3人それぞれが「社会で生きていく」ということに対して、ある方向性を持ち始めているように思う。

 

そんなわけで、今、わたしたちは音楽から以前よりずっと離れている。今、音楽は少し置いておいて、それぞれの人生に向き合っている、というような感じがする。

 

20代全てを、ちゃんと音楽に使ったな、と、はじめて思うことができた。今までは、「まだもう少し」「まだもうちょっと」と、なんとなく歯切れが悪い思いを抱いていたけれども、今は違う。少なくとも今日は違う。20代全部、本当に使い切った。ちゃんとやることを全部やった。それは、わたしだけじゃなくて、3人ともそうだと思う。全員が全員、どうしたらよいか思いつくことは全てやったなあ、と思う。

 

だから今、それぞれの人生に向き合うタイミングなのだろう、どこからともなく静かに「流れ」がやってきている。それぞれが、それぞれの方法で、この先の時間のことをしっかり見つめて、行動している。それは何よりも喜ばしいことで、このように生きている2人を見ていること、そして自分が今日を生きていることが、好ましいと思う。

 

全部やりきったから、あたらしいことがわたしたちを出迎えているのだ。あたらしいことに出会えたら、それをやってみたいと思えたら、それはやるに限る。だからわたしは2人を応援しているし、2人もわたしを応援してくれている。

 

3人とも相変わらずだし、この仲良しな感じは変わらないと思う(多分)。だけれど今は、3人で音楽をするのは、少しお休みです。

 

お休みしたあとに、またいつかやるときがくればやるし、このままそれぞれの人生のあたらしい流れに乗っていくことになるかもしれないし、それは、誰にも、3人にもわからないけれど、この10年ちょっと、本当によくやったなあという思いだけは、確かなものだ。

 

わたしたちの音楽と出会ってくださってありがとうございます。

解散もしないし、youtubeもサブスクもHPも全部そのままにしますけれども、ひとまず、多分、ここが区切りだと思います。

 

あたらしい音楽を作る日がまた来るかもしれないし、来ないかもしれないし。だけれども、3人はずっとこんな感じで、生きてゆくことと思います。

 

結局歯切れが悪いかな。それが真実だから良いとしよう。ひとまず今日まで3人とも本当によく頑張った。これからまた、人生を頑張っていくのだよ。そういうタイミングなのだよ。

 

わたしたちに出会ってくださったみなさん、本当に、ありがとうございます。

これからも今までの曲をぜひご贔屓に。

 

www.tunecore.co.jp