およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

獣と人間の、間の子

日中、ずっと心臓を休めていた。ようは昼寝です。昨日に引き続き今日もよく眠った。今日は正味4時間は眠っていた気がする。

 

こんなに心地よい季節なのに、わたしの体はどうかしており、常にHPがない感じ。「くらえ!ひしげんせいしつう!」もなりをひそめ(シュミテクトのおかげかも)、今やうっすら痛いかな、くらいで、痛くする元気もないのかもしれない。

 

今しがた、3日ぶりに入浴した。汚ぇ。おこころの病あるあるである。おこころの病はひとを風呂から遠ざける。獣くさい、と思って湯を浴び体を洗うと、少しすっきりした。きちんと保湿もして、久方ぶりに鏡で顔をまじまじと見る。顔がざらざらしていたので、顔の産毛を剃るついでに角質もとれた(と思う)。化粧水がきちんと染み込みほっとする。美容の観点ガン無視のセルフケア。でも、これでいい。

 

こころも体も少し潤って、今月の自分を振り返ると、「獣と人間の間の子みたいだな」と思う。まるで体が動かない日と、心のままに動ける日。手先だけは動かすことができるから(心臓をほとんど動かさないので)、文章やら詩やら書いている。体がずっと水中にいるようで、何をもがいているのか、正体が見えない。正体を見遣る体力も、ない。

 

いっそ自分を動物として捉えてみてはどうかと、「秋 動物 過ごし方」で検索したがよくわからなかった。秋は、動物たちはどのように過ごしているのだろう。動物って括りが大きすぎて答えにたどり着かなかったんだな。繁殖期を迎えるものもあれば、きっと、もう冬眠に向かって準備を始めるものもいるのかもしれない。わたしはきっと後者だろう。冬眠に向かっているのかなんなのか、体がとにかく「横になれ」「動くな」とうるさい。

 

仕方がないので横になる。楽器を弾くのにも、歌をうたうのにも体力がいるから、ここ数日はそれができない。20代のうちに、自分なりに全力疾走しておいてよかったなと、心から思う。今、それができない体になって、あの頃の熱をまぶしく思う。同時に、いまこの、平熱よりも低い体温の感じを、受け止めなければあたらしい道を歩むことはできないのだな、とも思う。

 

動物のように、ただ体の命令に従って日々を過ごす自分の先に、「回復期」とやらは、「寛解」とやらは、くるのだろうかとふと思う。そう思ったのは初めてかもしれないから、やはり、水中で暗中模索していることは、先の日々へ繋がっている。

 

夕日を照り返す窓辺の観葉植物に目を奪われて、ああ、己は人間なのだなと認識する。獣と人間の間の子。はざまをうろうろ徘徊している。