およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

夢のはなし

夢をみた。大泣きしている夢だった。イモトアヤコに抱きしめられて、一緒に泣いてもらう夢だった。とてつもなくすっきりした気持ちで目が覚める。

 

泣くのは良いことだ。泣いてしまえば、あとはもうすっきりするしかないので、完結していて良い。泣いたあとまで、泣く前の気持ちを引き摺ることだってなくはないけれど、大抵の場合、涙を流してしまうと、それで何某かも流されてゆき、ひっくひっくとしゃくり上げて涙が止まるころには、心の中がすっとしていることが多い。

 

夢の中でわたしは、泳ぐのが好き、という設定だった。泳ぐのが好きなんだけれども、好きと大きな声で人に言えない、という設定だった。泳ぐの好きなんでしょ、と問われ、泳ぐの好きだと思うけれど、好きってはっきりとは言えないです、なんというか、泳ぐのをやりたい気持ちはあるけれども、泳ぐのが好きとは言えない感じです、とごにょごにょ答えた。そうすると、夢の中の話し相手は、やっぱり、と言った。あなたみたいな人いるのよたまに、かわいそうにねえ、好きになれないって人もいるのよ、それをやりたいと思っているくせに好きになれないなんて、かわいそうね、でもそういう人って、本当にいるのよ、たまに。と言われた。

 

そう言ってきた人は、わたし以外に2人ほど居て、その2人のどちらもが、わたしを「かわいそうに」と言っていた。わたしたちは違うから。わたしたちは、泳ぎたいし、泳ぐのも好きなんだ。

 

 

そうか、と思って、静かに黙った。すると、同じようにプールに居たイモトアヤコがすすすすっと近寄ってきて、どうして泳ぐのが好きじゃないの、泳ぎたいのに、と聞いてきた。

 

そこでわたしは、泳ぎたいのだけれど、泳ぐと気持ち良いのだけれど、水着がとても嫌なんです。体の線が出てしまうのがとても嫌、肌が見えるのがとても嫌、女という形がわかるのがとても嫌というか、苦手なんです、だから、泳ぐのは気持ち良いけれど、泳ぐのが好きとは言えない、水着さえなければ泳ぐのは好きって言えるけれど、泳ぐためには水着を着なければならないし、それは変えられないから仕方ない、と言った。

 

そうしたら、イモトアヤコがみるみるうちに涙目になって、今まで気が付かなくてごめんね、それは辛かったね、と小さな声で言った。それを言われたら、あっという間にこちらも涙目になって、わんわん泣いた。

 

そうなんです、今までそれがずっと辛かった。泳ぐのは気持ち良いのだけれど、水着が嫌なんです、水着が嫌だけれど、それはどうにもできないから、わたしだけじゃあどうにもすることはできないから、だから、だから、だから、泳ぐのが好きって言いたいのに、言えない。

 

ここまで言って、わんわん泣いて、泣いているわたしをイモトアヤコが抱きしめて、そっかそっか、それは辛かったねと言って、そうしているうちに、目が覚めた。

 

夢は、クオリア(質感)を伝えてくれるものだって、東畑開人さんの本、「心はどこへ消えた?」に書いてあった。

心はどこへ消えた? (文春e-book)

 

今日の夢が運んできた質感は、わたしのかなしさの正体で、わたしの不安の正体で、わたしのつまづきの正体のような気がした。

だってよく出来すぎてる。ずっと言えなかったことを口にして、泣いて、それに共感してもらえるだなんて、ほんとうに、よく出来た夢だった。

 

おかげでなんだか、今日は元気。なんでイモトアヤコだったのかは、よくわからないけれども。