その程度の時間
あるはるかのさえぐさです。
わたしが「あるはるかのさえぐさ」、であることを知っている人のほうが少ない。普段の私は三枝であって、「あるはるかのさえぐさ」ではない。
土曜日に髪をばっさりと切った。慣れ親しんだショート、ベリーショートにした。後ろを刈り上げるのが好きだ。丸いシルエットにならないようにしてほしい、タイトなショートカットでお願いしたい旨を、担当のギャルに伝えた。(概念としてのギャル、別にギャルっぽくないんだけど、テンションがギャルだった)
さすがギャル、超プロかった。話し方はギャル、でもシルエットの微妙なラインを見つめる瞳は俄然真剣。押しの強いギャル、まんまと次回の予約も取らされた。それもギャルっぽくてよかった。
慣れ親しんだベリーショート、でも普段の三枝としてこの姿を晒すのは初めてで、「思い切ったね」「別の人みたい」等々。喧々諤々、言われたけれど、今までの三枝のほうが、私にとって「別の人みたい」だった。長い髪を結いていると、別の人みたいだった。ただほったらかしていただけなのだけれど、そしてタイミングが合って土曜日に切っただけなのだけれど、これが、「あるはるかのさえぐさ」。これが、「あるはるかのさえぐさ」を内包した、三枝の、姿かたち。
入職した時から髪を結いていたのだから、職場の人がこの姿かたちを目にするのは初めてで、だから「別の人みたい」っていうのは、至極真っ当だ。それで、そう言われて、思った。裏の意味があるとかでなく、言葉通りのまま、その意味だけを込めて書くけれど、本当に、「その程度の付き合い」しか、この人たちとはしていないのだな、と思った。その程度の時間しか、共にしていないということ。髪が長いのが私のスタンダード「ではない」ということを、知らせる機会もないくらいの、時間しか共にいないのだと、いうこと。