同じ顔をしている
あるはるかのさえぐさです。
転機は突然やってくる。良い転機でも、あまり良くない転機でも、それは同じ顔をしているような気がする。その顔に気がつかないときは、そのまま側を行き違うだけ。少しその顔が気になったら、ちらりと視線を送り、それが良い転機であり表情が穏やか(そうに見える)ならば、そしてその時の自分に、「あの、」と、声をかける勇気があるならば、良い転機はこちらを真正面に見据えてくれるのだろう。
「はい、なんですか?」
と、多分、おそらく、会話が始まるんだろう。
あまり良くない転機は、もう少し、強引な気がする。その顔に気がついてしまえば最後、視界の端にちらりちらりと映り込み、いくらこちらが行き違おうとしても、いつのまにか、わたしの正面に立っている。
「気がついてますよね、こんにちは。」
下を向く私の顔を覗き込むようにして、あまり良くない転機は言葉をかけてくる。そして私を抱きしめて離さない。
けれども、あまり良くない転機に抱きしめられているうちに、私の底からは、これまで「無い」ことにしていたものが、泉のように溢れ出す。溢れ出したものさえも、良いこと、あまり良くないこと、両方含んでいる。
溢れ出したら最後、おそらくは、その泉が穏やかな噴水になるくらいまでは、蓋をしないほうがいい気がする。あまり良くない転機に抱かれながら、だらだらと、時には濁流のように、奥底の「無い」ことにしてきたそれを、出せる分だけ、出してしまったほうが良いのだ。
それは時には涙のかたちを取るのかもしれないし、誰かへの渇望、羨望、妬みのかたちを取るのかもしれない。または、罵倒、怒り、憎悪のかたちを取るのかもしれない。
他者に加害は加えてはいけないけれど、他者加害を加えないのならば、その泉から溢れてくるものは、良くない顔をした転機に、一緒に抱きしめられてしまったほうが、良い気がしている。
わたしを抱きしめている転機は、いつのまにか、微かに、良い転機の顔つきになってきている、気がする。まだ真正面で顔を合わせて無いからわからない。まだ、まだ、私を覗き込んできた時の顔つきのままなのかもしれない。
けれども、抱きしめられながら、感じる。匂いが違ってきていること。わたしを抱きしめている「それ」から薫る匂いが、少し、少しだけ、日向の匂いになっていることに、気がついている。