およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

胃の悲鳴、少しさみしいが鳴る声

あるはるかのさえぐさです。

 

調子にのっているとき、うまく行っている時ほど何か事故が起きたりミスしたりするから身構えなければ、と、毎日思う。昔はひとついいことがあったとして、その後コンマ数秒で、「ということはこのあとものすごく悪いことが起こるに違いない」と思い込んでいた。負のオーラ。今はそこまで思い詰める体力はない。若かった。

 

けれども昨夜はこの通りになり、久しく調子の良かった胃が盛大に「もう無理ですのん」と信号を発したため、悶え苦しんだ。そうね。シュークリームはまだ早かったね。頂いたシュークリーム激うまだったね。そこで終われればよかったね。最後の一撃だったんだね。ごめんごめん。

 

宇多田ヒカルの「One Last Kiss」を狂ったように聴いている。エヴァは観ていない。永遠にループできる。歌い始めが「はじめてのルーブルはなんてことはなかったわ」なんて曲ある?リスナーを信頼している。わたしは昔からのファンではない。むしろ世俗に復帰してからの、すこしさみしい、宇多田ヒカルが大好きになった。歌声が好き。歌詞が好き。サウンドが好き。喪失をこんなに聞きやすく、届けてくれる曲を、アーティストを、わたしは他に知らない。だから新曲が出るたびに、その時期は狂ったように聞いてしまう。どうしてそんなに少しさみしそうなの。少しさみしい、届かない、失う、手に入らない、そういうことを引き受けた歌声のうつくしさ。宇多田ヒカルと同じ時代に生まれて良かったとさえ思う。

 

いまも耳元で「もうわかっているよ」と宇多田ヒカルが歌っている。声の奥底で、少しのさみしいが一緒に鳴っている。わたしも少しさみしいんだよ。なんでかは知らんけど。