およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

露出狂寄りの露出癖

あるはるかのさえぐさです。

 

前回に引き続きマツコ会議の話から。

星野源とマツコの対談会で、話がどんどん進んでいったあと、ある瞬間、マツコが星野源

 

「あなた露出狂よね」

 

と言った。

 

確か話の流れ的に、ドームツアーで何十万人も動員するライブで、衣装はパーカーとズボン、バンドセットでなく一曲目が弾き語りで始まった、というVTRを受けての発言だったと思う。

 

あ、わたしこれがいい、と思った。

 

露出狂寄りの露出癖というか。ステージにあがるときに最低限、もしくは最高値の「施し」をしなければ「見せ物」にならないというのは、事実だと思う。大きな会場だろうと小さな会場だろうと、演者は演者らしく、着飾るなりなんなりして、「日々」と「ステージ」を分ける。

 

でもずっと違和感があった。化粧するし衣装着たこともあるし今も衣装着るけれど、着た途端にわたしはわたしから離れていくような気がしていた。衣装に着られているわたしは、化粧に隠されたわたしは、すでに背伸びをしていて、本当は地に足がついていなかったかもしれない。今思えば、だけれど。

 

ありのままを見せたい、というと陳腐だし、ありのままではないのだ、パーカーと、ズボンだろうと。ただ、人の前で表現をする自分、ステージに上がる自分と、日々の自分との間に、たぶんわたしは、はっきりとした「境目」などいらないと本当は思っていたのだと思う。

 

わたしはわたしにしかなれないから。どんなに着飾ろうとわたしはわたし以上になれない。それが骨の髄までわかっているから、「境目」を作っても、自分をエンパワメントするどころか、ぎこちなく感じていた、と思う。

 

ひんまがった自我を晒したい。星野源の、ドームでパーカーとズボンで歌う姿をは、己の中に響いている、わたしをみろ、わたしの表現のをみろ、これがわたしだ、これがわたしなのだぞ、という、「ステージの自分の姿の理想」だ。

 

だからわたしは露出狂寄りの露出癖。今はまだ露出狂になり切れたことなんてない。いつか露出狂になりたい。いつか「境目」を混ぜこぜにして、ライブが、表現が、できるようになりたい。