孤独、自我、欲望、センス
あるはるかのさえぐさです。
星野源の「創造」がとてもよかった。マツコ会議での対談を見たあとだからかもしれない。
孤独に耐えられるから神様が彼を選んだ、というようなことをマツコは言っていた。マツコは、自我を表現に変えて生きていかないといけないと、28歳の時に思ったと言った。転機をくれる、光る手が必ずあると2人は言った。その手は一度掴み損ねると2度と現れないとも言った。
光る手はわたしの人生にあっただろうか。孤独はあるのだろうか。表現に変えたいほどの自我はあっただろうか。
孤独はある。いまもある。孤独は他者がいないと産まれないと2人は言った。わたしもそうだと思った。この孤独は多分クセだからなおらない。孤独はある。ずっとある。
表現に変えたいほどの自我もある。金にならない自我だけど、表現に変えたいという欲望がたしかに、ずっとわめいている。
ジェーンスーは、それを「欲望の強さ」と言っていたなあ。欲望の強さはあるかな?
今もこうして手を変え品を変え、表現しているから、わたしにも欲望はあるんだろう。
光る手は、掴み損ねたのかもしれない。まだ出会っていないのかもしれない。どちらなのかもわからない。
すべて兼ね備えていたって、名を成す人もいれば、名を成さずに離れる人もいる。ひとつ思ったのは、「運」という要素ですらきっと、「才能」や「センス」とやらに含まれるということ。
さあ、わたしに「センス」はあるのかな。欲望の強さは「足りている」のかな。
そんなこと、誰もわからないよ。わからないから、わけもわからず、今日も生きてる。バンドやってる。