およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

ふしぎ

面接を受けに行った。本屋さんの面接だった。結果はまだわからない。受けないと後悔しそうだな、と思ったから応募した。面接を終えて、今、もし受かったらちゃんとできるのかな、と不安に駆られている。

 

不安がひとより強い、というのは厄介だ。不安だから最初はとにかく頑張る。頑張って頑張って頑張って、頑張れなくなってしまう。頑張れなくなってしまうほど、頑張っては元も子もないのであって、それを、うまくコントロールできるようにならないと堂々巡りなのである。

 

堂々巡り、そう、堂々巡りをしているな、とお米を研ぎながら思う。

上手に働くことができないから頑張る、頑張り続けることで頑張ることができなくなる、その繰り返しをしているな、と思いながら、お米を研いだ水を捨てる。

気がついているのなら、それを直していけばいいよ、と、炊飯器のスイッチを押しながら思う。

 

直していけばいいよ、は、おまじないの言葉だ。そうやって自分をなだめて、これからやっていくしかないなあと思う。経歴もとっても汚いし、働き方が下手くそだし、多分年相応の常識もないのだろうと思うし、それにしたって生きていかないといけないなあという事実だけが、目の前にある。人生なかなか大変だこりゃ。でも、恵まれていることを忘れずに、とも思う。

 

ピクミンのアプリをインストールした。昨日散歩し終わってからインストールしたから、まだ42歩しか歩いていない。それなのにすでにピクミンが2匹も居てくれる。かわいい。よく仕組みがわからないけれど、歩くと増えたりするのかな。謎の玉をあげるとピクミンが喜んで花を咲かせてくれる。その花の蜜?をもらう。ここでも巡り巡っている。ああ、謎の玉は花の蜜なのかな?

 

本屋さんの合否が出るのは一週間後、と言われた。ご縁があれば一週間程度でご連絡いたします、もしそうでなければ連絡はいたしません、とのこと。この「待つ」時間がとっても苦手だ。いいのかわるいのか、その場で言ってほしい。その場で言えば、お互いすっきりするのになあ、社会って不思議だなあ、と思う。

 

そもそも、無職のくせして、採用するための、履歴書や職務経歴書の提出、面接、試験、書類選考ってものが、不思議でならない。本当に心の底から不思議だ。一体それで何がわかるっていうんだろう、と思う。もちろんいろんな人がいるから、その人と合うかどうか、確かめなければならない、というのは、わかる。わかるのだけれども、履歴書や職務経歴書で、その人の何がわかるんだろう。それすらもまともに用意できないひとはお断りですよ、ってことなのかな。それもまだわかるのだけれども、その職歴で判断するっていうのが、よくわからない。中途入社で経験者採用ならまだわかるのだけれども、そうじゃない場合、自分で書いた履歴書や職務経歴書を見て、採用担当の方は、「何を」見ているのだろう。嘘かもしれないのに。そこは信用が成り立っているのかな?それでもそれをもとに「不合格」ってなるのは、一体全体、よくよく考えると、不思議だ。

 

批判しているつもりはないけれど、履歴書が汚いから、拗ねていてこういう気持ちを抱くんだろうか。わからんなあ。いつもそう。いろんなことに「不思議だなあ」って思ってしまう。そうして社会の決まりごとが、いつもよくわからない。結局わたしは、自分大好きってことなのかしら。幸せなやつ。