およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

健康に隠居、健康にFIRE

なんの予定もないことに慣れた。予定があるのが好きじゃないから、予定を立てないで過ごしている。予定があると、そこに合わせて動かなければいけないから、億劫だった。

 

でも、なんの予定もないことに慣れると、今度、なんとなく「ひまだなあ」と思うようになってくる。「ひまになる」ことは体に良いことだと思っていたけれど、ぼんやり不安だ、という気持ちをよくよく見つめてみれば、「ひまだなあ」と思っていることが多い。ひまだから、ひまを不安と勘違いしているっぽい。

 

ひま、は、悪いことと思っているのかもしれない。ひま、に、良いも悪いもない。それをジャッジするのは、第三者の視線、価値判断が入ったときに限っていて、自分とひまの一対一だったら、ひまはただのひまだ。

 

ひま、が、悪い、になるのは、「能動的に社会に参加していない」ような気がするからかもしれない。「能動的に社会に参加せよ、いつでも」というのが、大人の暗黙のルールだと思う。こどもで居られたときは、受動的に社会に参加する仕組みが整えられていたけれども、大人になったらそんな仕組みはなくなるので、こちらから、常に、社会に手を伸ばさなければならない。

 

社会に手を伸ばしている人が、伸ばしている手を休めて、リフレッシュする「ひま」は、「悪い」にならない、と思う。だけれど、社会に手を伸ばさない、という選択をとると、途端に、「悪い」になる気がする。

 

これは、実在しない第三者の目を気にして生まれる考えで、ほんとうは、他所様のことなんて結局は誰も気にしておらず、他所様が社会からドロップアウトしようがどうしようが、知ったこっちゃないのである。でも、ひまな時間が多いと、こうして、ありもしない視線や価値判断を気にしてしまうので、時間が多すぎるのもきっと、あんまり人間にとってはいいもんじゃないんだろうな、と思う。

 

隠居生活している人とか、あんまり働かずに暮らしている人とか、こころが強靭だし、健康だし、強いんだろうなあ。予定を自分で生み出したり、コントロールすることの技術がないと、「健康に隠居」や「健康にFIRE」はできない気がする。素人が手出ししてはいけない領域。たぶん、上手にやらないと、あっさり不健康になってしまう。

 

というようなことを、ぼんやり考えているくらいには、いまは、落ち着いた心持ちでひまを感じている。ひま、としか言いようがないんだけれども、その感触は、今日のところは、そんなに悪いもんじゃない。まわりがよく見える。外の様子が響いてくる。自分のなかに、風が通るのがわかる。今日は何をしたいと思っているのか、ひまの向こう側に、ぼんやりと姿が見える感じ。