司書さんの話
同居人との会話で、高校生の頃、学校の図書室にいた司書さんのことを思い出した。
同居人ことこまちゅんはわたしと同じ高校だったので、彼女とわたしが思い浮かべる司書さんは同じ人だ。
こまちゅんは司書さんのことを、「インディアンみたいなひとだったよね」と言った。
たしかに、司書さんは女性だったけれども、お好きなファッションはおそらくチチカカ風のもので、性格もさっぱりとしており、生徒のことを「君」と呼ぶひとだった。
わたしは確か図書委員会か何かに属しており、「司書室」に入れてもらったことがある。
係の仕事で司書室に入る必要があったんだかなんだか、細かいことは忘れてしまったけれど、インディアンのような司書さんの司書室の、光の感じや、本が雑然と並べられている棚の数々や、その狭間に彼女の趣味であろう小物たちがこまこまと存在していたことを強烈に覚えている。
図書委員の数人と、司書さんで、司書室で話をした時間。あれは何をしていたんだっけ。何をしていたか思い出せないのに、司書さんの声、わたしを「君」と呼ぶ声は、はっきりと思い出せる。
本当に何度かだけ、授業中に教室に居られずに、かと言って保健室に行くのも疲れて、ふらふらと図書室に行ったことがある。
授業中にも関わらず図書室に入ってきたわたしを特に気にも止めず、司書さんは、司書さんのまま、仕事をしていた。わたしは、図書室の机に突っ伏したり、本棚と本棚のあいだでぼんやり書名を順番に読んだりした。
司書さんは、わたしを拒まなかった。
こんなにはっきり覚えているのに、司書さんの名前をわたしは知らない。いまもどこかの学校で、または図書館で、司書さんは、司書をしているだろうか。
わたしは彼女が好きだった。
年下の、女のわたしたちを、「君」と呼ぶその他者への姿勢も、司書さんの司書室も、それら全てを含んだ彼女そのものが、好きだった。
いまもどこかで、元気でいてくれたらいい。元気に誰かを「君」と、呼んでいてほしい。