およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

何があるかわからないからLINE交換しませんか?

タイトルの言葉、文面だけ見たら至極真っ当である。

 

たしかに、このご時世、何がいつどうなるかわからない。考えたくもないけれど、自分や自分の大事な人、その大事な人の大事な人が流行病に罹ってしまう可能性だってゼロじゃない。本当に「何があるかわからない」のだ。なんて真っ当。

 

ただし、わたしはこの言葉を、今朝5時歌舞伎町でしまうま柄の服を着た男の子に言われた。お前は誰や。

 

至極真っ当なこの言葉は、しまうまさんから発せられた途端に、なんの意味もなくなる。なんの意味もなくなるどころか、なぜ、朝からこのような目に合わなければならないのか、その後小一時間わたしの胃に鉛をつめた。

 

しまうまさんよ。いや、しまうま君よ。なぜ君はかように軽薄なのかい。その軽薄さ、ちっと分けて欲しい、いや、やっぱりいらないわ。軽薄さ、大嫌いだったわ。すまんかった。

 

職場が歌舞伎町に隣接しているため、どうしても、歌舞伎町の出入り口(そんなものあるのか知らんが)を通過する。毎朝毎朝、どこからどこへ向かうのか、新宿駅の構内から、歌舞伎町から、酒に酔っている人々がそれなりにいる。

 

お仕事帰りの方なのか、飲み歩いてきたのか、わたしにとってはどちらでも良い。粛々と、帰路に着いてくださればそれで良いのだ。ただ、酒に酔って歌舞伎町から出てくる人々は、しかも声をかけてくる人々は、だいたい、なぜか気が大きくなっている。気が大きいのか軽薄なのかは知らんが、赤の他人の、如何にもこれから仕事に行くためだけに真っ直ぐ歩いているわたしに向かって、冒頭のような言葉や、もっと卑猥な言葉やらを、「大きな声で」言ってくるのである。

 

ポイントは、「大きな声」というところと、今のところ遭遇した声かけ人(こえかけびと、と読んでください)たちは、「1人ではなく、3人くらいの集団」でいる。集団のうちの1人が、まるで肝試しのように、「大きな声」で、声を浴びせてくる。今朝のしまうま君も、3人組の1人だった。他の子たちは何柄だっただろうか。声をかけられた時点で体が硬直していたので、何柄か確認する余裕もなかった。

 

怖かった。ふつうに、知らん人に、声かけられたらびびる。何にも嬉しくない。

 

なかには嬉しい方も居られるかもしれない。嬉しいなら嬉しい気持ちを大事にしたら良いと思う。win-winだ。しかしわたしは1ミリたりとも嬉しくない。恐怖。そして傷つく。こればかりはもう仕方ない。いくら自衛しようとも、目に留まったら終わりなのだから。

 

しかして、今朝のしまうま君を、夜のお仕事をされている方だと仮定した場合、仕事帰りにまだ声かけなどするのだろうか。すっかり私服に着替えて酔いどれだというのに、それで声をかけて、彼の売り上げに繋がるのだろうか。

 

夜のお仕事の方にも当たり前だけれどいろんな価値観があって、硬派(?)な方も居られれば、軟派(?)な方も居られることだろう。そのどちらでもない方ももちろん、言わずもがな。

 

でもどうも、わたしの直感が、今朝のしまうま君は、夜のお仕事の方ではないんじゃなかろうかと言っている。「何か」を信じたいだけかもしれないけれど。わたしが納得できる「夜のお仕事の倫理観」を、押しつけているだけかもしれないけれど。

 

どちらにせよ、しまうま君や、いま、この時期に知らん人とLINEは交換せんほうがいいし、なるべくなら、自分の体を流行病の危険から守ったほうがええよ。それと同じように、他者の、とくに女の体にも、そのような危険を与えないほうがよい、ということに、気がつけたらいいね。

 

軽薄なしまうま君に幸あれ。うそ。タンスの角に小指ぶつけて10秒悶絶しやがれ。それで勘弁してやる。