およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

わたしわたしを取り戻したみたい

2回目のワクチン接種にきている。

 

前回は祝日だったから電車はがら空きだったけれど、今回は平日月曜日。いくらテレワークテレワークと偉い方が叫ぼうとも出勤しなくてはならない方々は当たり前にいるわけで、とすると、以前と比べてましになったとは言え、電車は混む。

 

わたしは9時からの接種なので、本当は8時に電車に乗れば充分、なのだけれど、どれくらい混むかわからない電車は恐れの対象以外の何者でもないから、早めに家を出た。

 

ホームに着いたときに、「やっちまった」と思った。お守りのようにしている、頓服の、「ちょっと怖くなくなる薬」を服用するのをすっかり忘れていたから。一応カバンのポケットには入っているし、今までなら慌てて服用するところなのだけれど、今日は、やめてみた。

 

電車に乗る。座る席はもうない。立っている方もたくさんいる。でも服用しない。目を閉じる。怖くなってもいいや、と思った。怖くなっても、死ぬわけではない。これはそういうびょうきだから、怖くなりはすれど、峠を越えれば、あっさり生きているのだから。

 

そうして目を閉じて、radikoをつけ、聞き入った。どこまで進んでいるのか、ちらちら薄目で確かめつつ、目を閉じて、大手町駅を待った。

 

以前だったら、たぶん途中で「もうダメだ」と降車していたことと思う。でも、いま、わたしは、結局大手町駅まで一度も降車せずに済んだ。お守りの頓服の力を借りずに、大手町駅で降りて、いま、喫茶店なんかに入って時間を潰している。

 

ひとつ、できることが増えたのだなと思った。増えたというか、できることを、取り戻したのだ。今日のわたしは、ひとつ、わたしの欠片を取り戻した。

 

取り戻した欠片は、あっさり裏切るかもしれない。明日には明後日には、はたまたいつか忘れた頃に、また、取りこぼしているのかもしれない。

 

でも今日、いま、この瞬間、わたしの手の中には、取り戻したわたしが「ある」。

 

それを覚えていようと思う。そのためにここに記しておこうと、思った。