するべきことを知っている瞳
あるはるかのさえぐさです。
今朝はぎりぎりの出発になってしまった。発車二分前に乗り込んだ車輌は、マウントレーニアの広告で埋め尽くされており、その全てが「動物の写真」だった。キャッチコピーは、「広告でも深く癒やせたら。」
犬猫にとどまらず、キリンやら名前のわからない動物もいる。だいたいが小さなこどもで、愛らしい。
彼ら彼女らは、するべきことを知っている。どうしてそうなのかはわからないけれど、ものを食べ、排泄し、眠り、成長し、繁殖する。各種動物それぞれ特有の、特性とよばれるものがあり、それは往々にして、人間が教えたものじゃないんだろう。
誰にもなにを教わらずとも、するべきことを知っている。彼ら彼女らのこころがわかるわけではないけれど、迷いや恐れを抱いたとしても、提示された選択肢のなかで、必ず何かを選び、するべきことをする。
するべきことを知っている顔は、きれいだとおもう。小さいから愛らしい、というのも勿論大いにあるけれども、わたしは、彼ら彼女らの、「これからするべきことを知っている」顔が好きだ。
野生であるならば、生存競争は苛烈なんだろう。人の元に産まれても、いい人に飼育されるかどうかは、運だ。
それでも、わたしは、彼ら彼女らが羨ましいとおもう。もし生まれ変わりがほんとうにあるのなら、するべきことを知っている、そんな生き物になりたい。するべきことのために、生を全うする、そんな生き物になりたい。