およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

脱線、キャパシティ、自己責任

あるはるかのさえぐさです。

 

たまたまTwitterを開いたのがいけなかった。被害者ムーブを取りたいわけではないのに、どうしたもんか、傷ついてしまった。

 

Twitterの、たくさんフォロワーのいる方が、「バイトにしがみついて潰れていったミュージシャン志望や役者志望、ライター志望の方をたくさんみてきた。彼らは兼業を嫌がり、バイトに精を出していた。自分はライターとして一本で食っていくには、そもそもライターの賃金が低いので無理だと考え、兼業することを早々に決めた。いまのキャリアに満足している。」

 

別の方で、こちらの方もたくさんフォロワーのいる方だけど、諸外国の同様の趣旨をおっしゃっており、お二方の意見はだいたい一致しているようだった。

 

お二方は恐らく、正規雇用なのだと思う。わざわざ「バイト」という言葉を使っているから、きっと、そうなのだと思う。事実と違っていたら申し訳ない。

 

正規雇用で、3年間働いた。私はそこで音楽活動との両立に限界を感じた。正規雇用も、バイトで働いていたところに拾ってもらった。拾ってもらったことはとてもありがたいのに、私のキャパシティが全く足りなかった。「音楽活動を頑張りたいので」と言って辞めたけれども、ただ自分のキャパシティが足りなかったのだと思う。

 

そこから、色々なアルバイトをした。自分は「きちんとできる人間のはずだ」と思っていたから、接客業ばかりを選んだ。そうやって2、3年でどこに勤めてもこころが折れた。折れたこころは何か身体に信号を出す。いつもただ「なんとなく」辞めているふうを装ってきたけれども、きちんと振り返れば、わたしの身体は、いつも、限界になると信号を送っていたように思う。

 

そしていま。正規雇用で働く自分は、とても想像ができない。正規雇用は、怖いなあ、自分はとてもじゃないけれど、その責任を背負えない、キャリアを積むということは、とても恐ろしいことだと思っている。

 

好きで選んだ、と、そういう態度を取ることが、せめてものプライドなのかもしれない。きちんと見つめれば、好きで選んだわけじゃないのだ。やりたいことがあって、正規雇用との両立ができるほどの「器の大きさ」が、私にはなかった。レールから脱線した。ただ生きていくことにしがみついている今、「これからは兼業アーティストをきちんと認めていくべきだ」「夢を持って上京しようという子にこそ、きちんと仕事を持って、やりたいことをやる、という事を伝えるのがいいと思う」という声は、強く同意するとともに、「わたしはその中に入れないんだなあ」と、思う。

 

正規雇用と両立できなかった、こぼれ落ちた自分がいる。働かなくては食べていけないから、非正規雇用でも、しがみついて、働いている。これから正規雇用になるのは恐ろしすぎて想像ができないから、なんとか、目の前の現実を、生きている。

 

やれるもんなら、やりたかった。でも自分には、できなかった。

 

そういう声は、届かない。「自己責任」の4文字ですべては終わる話だから。だから私は「自己責任」でこの生を全うする。だれの同意が得られなくても。たくさんのフォロワーの方々がいるお二方のお話に、わたしのような人間は、「存在しない」としても。