およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

ひとつの作品には作者の人生が宿っている

四谷アウトブレイク2020.12.02-12.06で開催されていた「もしもアウトブレイクが無くなったら」に行ってきた。

最初に行ったのは12.04の金曜日。aruharuka3人で観に行って、頭がぐるんぐるんして、最終日の本日12.06日曜日、トークショーにも参加してきた。

「鉄は熱いうちに打て」なので、今日のトークショーを聞いて思ったことを全部書く。抽象的な話をします。(前回のライブのMCでも言いましたね)これから書くことは全部抽象的な話です。でも私にとってはひとつの確信です。目次もつけません。とにかく全部書いて残しておく。

 

 

「ひとつの作品には作者の人生が宿っている」

これはトークショー中に、世田谷美術館学芸部長の橋本さんがおっしゃっていたこと。(もし記憶違いだったらごめんなさい)トークショーのお相手の都築さん、booneさんとのお話の流れで出てきた言葉だったように思う。

「たとえ有名な作品ではなく、死蔵されているに近しい作品や、点数が少なすぎて展示として構成できない作品でも、物語、キャプションをつけてあげると作品が違って見える」とお二人はおっしゃっていた。

そこでbooneさんが引き合いに出していたのはアウトブレイク名物の「ヒッチハイクギグ」(知らん人はググってね)。「ボーカルがヒッチハイクをして演奏スタートまでに間に合うのか、という物語を観客が共有すると、同じバンドの同じ曲でも、いつもと違って聞こえる」と言っていた。

 

物語をつけてあげると作品が違ってみえる。それは、内包されているものを外に出してあげることで立ち上がるもの、生活者として生きている、生きていた1人の人間がそこに込めた(意図せず込めてしまった)ものを、補助輪のように作品に付けてあげることで、違う視点が立ち上がってくる、ということなのだと思う。ヒッチハイクギグは、それをシステムとして準備して観客を巻き込む、ってことなんだろう。

 

トークショーにあたって配布してくださった世田谷美術館に関する資料に、設計者の内井昭蔵がどんなコンセプトで世田谷美術館を作ったのか書かれていた。ひとつ、「生活空間としての美術館」。ふたつ、「オープンシステムとしての美術館」。みっつ、「公園美術館としての美術館」という3つのコンセプト。そして、世田谷美術館そのものは、「芸術を心の健康を維持するものとして位置づけ」、1986年に開館したとある。

 

今回の「もしもアウトブレイクが無くなったら」の発端になった、世田谷美術館の「作品のない展示室」という試みは、普段壁などで収められて隠されている「窓」を展示室内に出現させ、窓の外からの光を展示室に取り入れたのだという。(観に行けばよかった)

 

都築さんもおっしゃっていたけど、「窓」というのは作品を展示する側、保管する側にしてみれば邪魔なもの、デッドスペース、作品を傷める外光が入ってきてしまうもの。それなのに設計者の内井昭蔵は、本来美術館には必要のない窓を作った。作った当初は、こんな何十年も経ったあとに意味不明のウィルスが蔓延して美術館の展示ができなくなるなんて思っていたはずはない。でも「窓」はそこにあった。生活空間としての、オープンシステムとしての、公園美術館として必要だと内井が信じて作った「窓」はずっと、世田谷美術館にあった。

 

こんなことになるまでは「使われることのなかった窓」が、コロナの中で息の詰まっていた私たちに、深呼吸をさせ、booneさんの心を動かした。小学4年生の佐藤少年の原体験(booneさんは世田谷ご出身なので、その近辺の小学4年生は世田谷美術館に行く授業があるそうです)を呼び覚まし、今年40歳の佐藤boone学店長を突き動かした。「うちのライブハウスでもこんな展示をやりたいのです、トークショーに来ていただけませんか」と暑苦しい電話を世田谷美術館に架けさせた。

橋本さんは、「毎年世田谷区の小学4年生と中学1年生を世田谷美術館に招いている。今までの数を合計すれば37万くらい。その37万分の一が彼だった。その彼からの申し出に、暑苦しい前のめりの電話に、ぐっと心を掴まれてしまったんだ」とおっしゃった。(数が間違っていたらごめんなさい)

 

どこが物語の始まりで、私はどこからこの物語に参加していたんだろう。

どんどん物語に巻き込まれていく。3人が話すほど、私はこの物語に没入していく。止むにやまれぬ理由(コロナ)のせいで、なんとか歩みを止めずにいるにはどうすれば良いのか、考えずにはいられない状況になった時に、唐突に交わった点と点。そこから作り上げられた「もしもアウトブレイクがなくなったら」の5日間。

 

 

割り切れない物語でも「物語」であるのなら

以前、このnoteで個人的なステートメントとして書いたことあるけど、「物語をみせて共感してもらおう、応援してもらおう」という文言に常に拒絶の気持ちが出るのはなぜだろうと考えていた。でも、今日のトークショーでわかった気がする。

私は「装置として作られた物語」が嫌なだけなんだ。

利益を生み出すこと先行で、「装置として作られた物語」ありきで、人前で音楽をしたり物を書いたりすることが嫌だったのは、それは「私の物語」ではないからだ。

生活、暮らす、生きていく、すごく地味なことばかりだし、外から見たら本人以外には本当の重みなんてわからないことばかり。だから見世物として、「ゴールはあそこなんです、あそこを目指すことが私の物語なんです、力を貸してください」みたいな言葉が、どうしても私の言葉にできなかった。だから口から中途半端なことしか言えなかった。

 

死蔵されていようが観客がいなかろうが、表現したくて作ったもの。成功しようがしまいが、どうしてもこの企画をやってみたくて何もない空間になったアウトブレイク。そこに堆積している、堆積してしまうもの。

 

物語、人の人生というのは、私にとってはこういうものたちと同じなんだと思った。竹で割ったように「あそこがいいんです、あそこに行きたいんです」だけを見せる、口から発することは、いつまで経っても私の言葉にならなかった。

 

だって人生は割り切れない。止むにやまれない。明日自分がどう思っているのかだってわからないし、あなたの抱えているものの重さを全部わかります、なんて言えない。それでも作りたいと思う。意味がなくても作りたいと思う。しかも作ってあなたに見せたいなと思う。

そういう割り切れなさ、先導することをためらい息を呑んでしまうこと、きっと傷口が痛むのだろうなと思っても絆創膏を渡すことに一瞬ためらってしまう自分、だからこそせめて直接手をのばすことが叶わなくても「大丈夫」と言いたい自分、そういう自分の人生が私の「物語」。

 

それぞれの人生は装置として作っていないから、ぐちゃぐちゃな曲線を、直線を描きながら突然衝突したりする。今夜の橋本さん、都築さん、booneさんみたいに。

 

バンドを始めてからずっと、答えが先にあるわけないのに答えが先にある物語を見せろ、と言われていた(ような気がしていた)のだと思う。だからどうやって活動すればいいのか、ぐるぐるぐるぐる試す時間が必要だった。強いて言うなら「答えが先にある物語をみせることは私の物語に反します」というのが、今日、私がトークショーで見つけた答えだ。

 

正解なんかない。いつだって隣人の傷に戸惑う。自分の弱さや頑固さに目を剥く。巧妙に絶対にやりたくない。私は「答えのない問い」の狭間で考えることを止めない人間でいたい。だから答えを迫ってくるやつが大嫌い。そんなの死んだってわかるわけない。隣人の傷に触れていいのかためらいながら、出会って、支えたりすれ違ったり、目があったりするのが人生だと思っている。私の物語は、そう。

 

それが全部aruharukaの音楽には入っている。この「物語」なら私はあなたに見せたい。楽曲の、aruharukaの補助輪として機能するかはわからないけれど、これはaruharukaのひとつのキャプション、物語。aruharukaは3人だから、これは、あくまでも3分の1のキャプション、物語。

 

 

アウトブレイクがなくなっても、やっぱり光があった

最後に、12.04になにもないアウトブレイクを見に行ったとき、思ったことを書き留めます。「なんだ、やっぱり光があるよ。光しかないよ。そうだよ。始まるんだよ、これから。やっぱりなー。間違ってなかったなあ。消せないじゃないか、なにも。堆積したものが、あっちにもこっちにも、全然消せないじゃないか。最高じゃないか。」です。

いつも演者が楽屋からステージに出てくる所は、ステージ下手側、ベースアンプの裏側の出入り口です。そこは、開演中は恐らく、一番光の当たらない所のはず。(出入りが見えたらあんまりかっこよくないからね)

何も無くなったアウトブレイクの、その場所に、ぽつんとライトがありました。いつもは一番光の当たらない所に、光がひとつあった。そして天井を見上げると、ライトが付けてあった場所にひとつずつ貼り付けてあるメモのようなガムテープ。消せないPA卓裏の「Outbreak!」のスプレー。床の傷。至るところに堆積している、ごろごろ転がっている。何もなくなってない、何もなくなってない、やっぱりなあ、やっぱりなあと思ったのでした。

なんで「やっぱりなあ」なのかは、この動画を見てほしいです。2020.11.20aruharukaで、アウトブレイクでライブした時に話したこと。リンククリックするとyoutubeに飛びます。「もしもアウトブレイクがなくなったら」に、繋がってた。そういうつもりはなかったんだけどさ。やっぱり答えなんか先にないんだよ。気がついたら物語に巻き込まれているよ。私はもうこの物語を隠さない。私の中心はここです。