およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

キャラクター化できなかったわたしたち、「応援してほしいと思っていない」の意味、わたしはあなたと目が合う音楽をやりたいということ

2020-10-5にめちゃ長スレッドでTwitterに書いた気持ち。いまの自分のステイトメントだと思うので残しておく。

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カテゴライズされる、勝手な意味づけをされる、己のキャラクター化、全部水が合わなかったから、いまの私はこの私に流れ着いたのだな。そしてそれは商品にならないんだろうな。(aruharukaがどうのこうのではなく)

だとしたら、「もう自分で居場所作るっす」て気持ち。

見えるものが全部とは限らない。見せないものが全部とも限らない。だけどそれは全部ほんとうだ。おそらくほんとうのことなのだ。混じり合っていてきっぱり分かつことのできないほんとうが、目の前にいるんだろう。それをそのまま投げたいだけだし、それを見て欲しいだけなんだ。

 

好きにやりたい。売れたら嬉しい。でも好きにやりたい。わしは自由になる。

 

前回の企画の特典で販売してもらった対談のなかで、私は「聴いてくれるひとに応援してほしいわけじゃない」って言った。そういうやり方があるのはわかっている。そういうやり方をしている人を否定したい訳でも、まして応援している人を否定したい訳でもない。

 

当たり前だけど、もし今のわしらを応援してくれている人がいるなら、有難い事この上ないし、本当に本当に感謝しているし、どんなに力をもらっているかわかりゃしない。でも、わしは、「aruharukaを今後ともご贔屓に」とは言うけど、「aruharukaを応援してください」とは、言いたくないんだよ。

 

aruharukaの音楽は、聴いている人と目が合う音楽で合ってほしい。聴いてくれる人の力を借りてより大きな所を目指し「共感」の渦の中で喜びを共にしたいわけではない。わしらの背中を押すのはわしら自身の仕事であって、そうやって辿り着いた先が「今」なら、それはわしらのかけがえのない「結果」だ。

 

と、わたしは思っている。だから今この瞬間にaruharukaを知ってくれている人がたとえ両手で足りる程の人数であっても、わしはaruharukaをだめなバンドだとは思わない。わからないなりにやってきた。何度でもトライ&エラーした。言葉にできない気付きがあった。そうやって今の音になった。

 

だから誰が否定しても、たとえメンバー2人が否定しても、わしは絶対にいまのaruharukaを否定しない。ずっと見ててくれる人も、偶々見てくれた人も、会えなくなった人も、また会えるようになった人も、これから出会ってくれる人も、全員といつでも目が合う音楽でいたい。背中は自分たちで押すから。

 

みんな、ふつうに生きてるだけで大変じゃないか。それは作るわしらも聴いてくれるあなたも同じじゃろ。推しがいることで生きる力が湧くって気持ちもめちゃわかる。しかし残念ながら、aruharukaは「推し」になれる程、キャラクター化されてないじゃろ。キャラクター化は、できなかったんだよ。

 

そういうのに向いてなかった。それがこの10年でわかった。わかったことが収穫だった。それでもわしらを推してくれる方がいたら、本当に本当に感謝しかない。ありがとう。だけど推さんでもいい。あなたと目が合うタイミングを、わしらがわしらの背中を自分で押して進んで、音楽作り続けるから。

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以上!!