およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

母は淡白なひとなのだと思う。わたしは淡白ではないから、それでは足りなかったのだと思う。憎むことなんか到底できず、母を好きな気持ちだけが膨らんで、母の一言一言に傷ついて、家を出た。もう10年以上前。寝た子が起きたみたいで、この気持ちが、うわぉん、うわぉん、と騒いでいる。


母に暴力を振われたこともない。ネグレクトされたこともない。やりたいことを否定されたこともない。だのにどうして私は、13歳から19歳に差し掛かる直前まで、自分を傷つけ続けたのか。


見て欲しかった。見続けて欲しかった。独り占めしたかった。さみしい、さみしい、さみしい、と、取り憑かれた私に最後まで付き合って欲しかった。母は母なりに向き合ってくれていたはずだ。病院の先生に言われたように、交換日記をしたり、2人きりの旅行に連れて行ってくれたり。でも足りなかった。足りることがなかった。だからしまいには、もう許せないと言われて、ああ、そりゃあそうだと、諦めた。諦めたつもりだった。諦めきれなかったもうひとりの自分が、今更、うわぉん、うわぉん、と阿呆のように鳴いている。


母を好きなままだ。嫌いになることができない。母はあんなに頑張ったのに、母に「自分のやってきたことは失敗だったのだろうか」と思わせたくない。母は間違ってない。ただ、相性が悪かったって、それだけなんだって、先生は言っていたよ。だから母は悪くないって言われて、私は心底ほっとした。私も悪くないって言われても、あまりピンと来なかった。一生、このまま、私がまださみしいと思っていることなんて、知らずにいてほしいと思う。もう終わったことなんだよ、だからおかあさんの子育ては失敗なんかじゃなかったよ、と、思っている。失敗だったかも、と、頭をよぎることさえ、して欲しくないと思ってしまう。


母はわたしから自立している。でも私は母から自立していない。離れて暮らして、お金の援助も一切もらっていなくても、わたしは、母から離れられない。母のことが好きだから。


わたしのこの獣のようなさみしさに、一生気付いてほしくない。母の耳に、獣のうわぉん、うわぉんと鳴く声を、捉えてほしくない。だから遠くで、遠くで遠くで鳴く。声が枯れるまで鳴く。ずっとずっと鳴く。


もし生まれ変わりがあるのなら、わたしから言葉を奪ってほしい。今世は、言葉でこうして蒸発させて、なんとかかんとかやって行くから、来世はもう、言葉はいらないです。言葉のない世界で、生まれたら最後、するべきことをするために生きる、ただそのように生きる、生き物になりたいです。