分岐
言葉を握る力を弱めなさい、というようなことが穂村さんの本に書いてあった。
そんなこと考えたことなく、むしろ握りつぶしたものをぶつけるような気持ちしかなく、詩集を作ったときも通低音にあったのは「怒り」で、だから、穂村さんのこの一言が、わたしの興味をぐんと短歌に引っ張った。
誰に教わったわけでもないのに、五七五七七が染み付いているのはどういうわけなんだろう。小学校の標語とか、かな。あれは五七五。学校で自分の中に芽生えた、植わったことって意外と多い。
「文章上手だね」
なんて先生に褒められたことを、真に受けてここまで来た気がする。
「感受性が豊かだね」
なんて先生に言われたことを、真に受けてここまで来た気がする。
来てしまった、のか。来た、のか、今更戸惑う。船の舳先はどこへ行くのだろう。
どこで働いていても、いつもなんだか、「学校みたいだな」と思う。良い悪いは別にして、それしか比較対象がないんだ多分。
学校みたいなところ、みんな工夫して、苦労もしたり楽しんだりして、生きていって、歳をとって、それで。それで。
違う道ってあったんだろうか。三叉路のはじまりの地点は、どこだった?