ダブルスタンダード
ダブルスタンダードが自分の中に起きないように注意深く生きてきたつもりだった。でもいざ己の身に降りかかってみると、人間のこころは何と弱いものだろうか。
国政のこと、有名人のこと、もっと身近に引き寄せて言えば自分と縁のない店のことが燃えるんだったら、こんな気持ちになることはない。遠いひとのことは人間と思っていなかったんだろう。わたしのなかにはそんな矛盾があったんだ。
当事者同士がどういう結末をつけるのか私は知らない。知ろうとも思わない。ただひとつだけ思うのは、「言葉は人をころす」ということだけだ。
第三者の有象無象から、無視しても無視しても湧いて出てくる罵詈雑言は、当事者の生きる力を奪う。被害を被った側でも、加害をした側でも、どちらに対してでも、外野からの罵詈雑言やレッテル貼りは、生きる力を奪うんだよ。
わたしが感じている怒りはその一点のみだ。
外野は黙っとけよ。誰からも見えないところで、当事者と近しい人が、ちゃんと当事者を支えてやってくれよ。被害を被った側も、加害した側も、だ。
国政のことは、わたしは市政の民で税金納めてるから、「当事者」だと思ってる。だからこれからもなんか変だなと思ったら、考えるし身内で話をすることもあるだろう。
今回のことは私は第三者。だからやいのやいの言うことは何の生産性もない。ただただ一つだけ、どうしても、願ってやまないのは、これ以上誰も傷ついてほしくないってことだけだ。
人間のこころ舐めんなよ。被害を被った側も、加害した側も、人間だろう。匿名でがやがや言ってるあんたと同じ人間じゃないのかね。私はおんなじ人間だと思うよ。どちらも。
ホモソーシャルな論理で擁護したつもりになってるやつも大嫌い。使い古されたロックに話を回収するやつも大嫌い。時代はもう令和だよ。音楽だから俳優だからエンタメだから伝統芸能だからそれでいいなんて時代もう必要ないだろ。擁護になってないと思う。ホモソーシャルがわからなかったらご自身で学んでください。
わたしはもうどちらにも傷ついてほしくない。自分の行為がどんな意味をもたらしていたのか、向き合うためには時間と体力が必要だと私は思う。体力ってなんだとおもう?
わたしは「生きる力」だと思うよ。
だからこれ以上、両方の生きる力を奪うようなやつが現れないことを願う。
言葉は人をころすよ。異論は認めない。