およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

言葉はひとをころす、だからまわりのひと、彼の人を守ってくれないか

地上波のラジオの相談コーナーで、自分のメールが採用されたことがある。

そのとき、パーソナリティの方は真摯に答えてくださって、わたしはある部分厳しい回答に対して、時間をかけて納得したし、そのパーソナリティの方のことは今でも好きだ。

 

でも、その時にSNSの反応を見てしまった自分が悪かった。そこには、画面の向こうから、顔も知らない誰かから、有象無象の誰かから、並べられた言葉がたくさんあった。

 

好意的なものもあったはずだった。露悪なものしか心に残らなかった。

 

言葉はひとをころす。あまりにもあっけなく生きる力を奪う。対等に怒りをぶつけて傷つけ合ってよいのは当事者だけのはずだ。言葉を交わして会話することは当事者に許された最後の砦なんじゃないのか。

 

私はパーソナリティの方に相談した。地上波で読まれるとしてもその人に相談したかった。それ以外の人のことは聞いていないんだ。それ以外の人の言葉はわたしにはただの毒だった。

 

言葉はひとをころす。言葉はひとを守りもする。言葉を読み、言葉を書き、言葉に守られ、言葉に傷つけられ、言葉に慈しまれる。

 

言葉は、力がある。言葉はひとをころす力がある。そして生かす力もある。

 

だからどうか彼のひとを、言葉でころさないでほしい。彼が向き合うべきはそこではない。そして私は当事者ではないからこの言葉も届かなくていい。

 

だけど願わずにはいられない。

どうか、彼のひとよ、言葉にころされないでおくれ。