およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

「仕事」はよいもの

スラリと手足の長い、長身のお姉さんがヒールを履いて歩いていた。その前を、数人のおばあさんたちが横切る。なんとなしに見ていたら、横切った先頭のおばあさんの帽子の高さが、お姉さんの腰から胸の辺りだった。

あれだけ身長差があったなら、見える世界もちがうだろう。2つの視線が交わるとしたら、一体どんな瞬間だろうか。

 

衝動買いしたSABONの店員さんも、先のお姉さんのような人だった。店の真ん中にある洗面台で、お姉さんにテスター用の商品を次々と出してもらい、異国の香りを楽しんだあの時間は、なんだか良いものとして、記憶の引き出しにしまわれている。

 

臆面なく販売員のお姉さんと話ができるようになったのは、紛れもなく加齢のおかげである。歳をとって良かったなあと思う。若い頃、買い物のたびにバカにされるような気がしてビクビクしていたのは、とても無駄な時間だった。

 

彼らは仕事をしにきている。私は買い物をしにきている。そこにそれ以上の交流なんかありはしない。なぜなら仕事なのだから。仮に内心バカにされていたって、そのような態度を彼らは表に出さない。出してくる販売員がいたとしたら、その人の元で買い物をする必要がない。

こうやって、「仕事」を介することで現れる、さっぱりとした関係性がある。そしてそれは決して悪いものではない。仮面をちゃんとかぶった大人同士で結ばれてすぐに解かれる関係。「仕事」は、そうした関係を、長身のお姉さんと小さなおばあさんの間でも、その他どんな人の組み合わせにも、もたらしてくれる。

 

だから、やっぱり「仕事」は大事で、良いものなんだと思う。仕事はよいもの。お賃金と、社会との接点と、交わらない人同士の平等な関係をもたらしてくれるもの。