捨てられるのが怖かった
いよいよ明日がやってくる。
新しい職場の初出勤です。
すっかり緊張しており、不安を抑えるお薬を飲んだ。どきどきしているのは、怖いのか、楽しみなのか、その両方か、どれなんだろうなあ。
ちょっと薄暗いところにいると落ち着くので、ちょっと薄暗いところでこれを書いている。ソファの上です。
お風呂にもちゃんと入った。頭も体もさっぱりした。これからは毎日お風呂に入ったほうがよいのだろうな。できるかなあ。自然にリズムになるといい。
明日は、ここのところずっと起きていない、朝6時台に起きるつもり。家を出るのは7時台だから、余裕を持って起きるつもり。
ほんの3ヶ月前は、始発で仕事に行っていたから、朝4時には起きていた。今考えると信じられないけれど、その時はふつうに出来ていたから、不思議だ。多分、結構頑張っていたんだなあ。
今日、図書館から借りてきた、こどもの不安障害に関する本を読んでいたら、泣けてきて、大きな声を出して、うわーんと泣いた。
その本に出てくる症例を持つ子どもたちは、まさしく昔のわたしそのもので、そうした子どもには、このような対応が望ましいですよ、と書いてあることの、ひとつもわたしはしてもらえなかった。
本のなかの子は、入院までしているのに、わたしは入院もせず、病院もひとりで行って、しまいには、病院すら行かなくなった。
なんだ、側から見たら、こんなにも大変なことだったんじゃん、やっぱり気のせいじゃなかったじゃん、わたしはちゃんと辛かったんじゃん、と思ったら、昔の自分がかわいそうでかわいそうで、辛かったねえと思って、自分のために、大声で泣いた。
最近、自分のために泣くことがある。こうやって、昔をもう一度振り返って、誰を恨むとかじゃないし、気のせいだって言い聞かせるわけじゃなくて、ただただ、辛かったねえ、辛かったねえと心の中でひとりごちながら、大声で泣くのだ。
こういうことが出来るようになったのは、本当に最近で、今まではこんなふうにできなかった。
自分の中にある恐れ、
「わたしはずっと、お母さんに捨てられるのが怖かったんだ」
という気持ちに気が付けたことが、大きいように思う。
捨てられるのが怖くて、捨てられないように、頑張ってた。捨てられるのが怖い自分を、なんとかずっと、なだめすかしてきた。
今は、捨てられるのが怖かったんだね、辛かったねと、自分に言っているところ。そして、わたしはあなたを捨てないよ、ちゃんと見守っているよと、自分に伝えているところ。
自分の心の奥底にあった恐れに気がついたときも、うわーんうわーんと、大声で泣いた。自分がそんな気持ちだったなんて、今まで想像していなかったから。
お母さんが好きなのに苦しい、の、先には、お母さんに捨てられるのが怖い、が、潜んでいたってことだ。だからずっと苦しかったみたい。そりゃ苦しいよね。
わたしは、わたしのことを見ていてあげなくっちゃいけない。今日までのわたしは、よく頑張って生き抜いてきたから、明日からのわたしのことも、わたしは、ちゃんとこの目で見てあげたいな。わたしはあなたを見捨てないから、大丈夫だよと、言ってあげたい。