大掃除と、今年のまとめと
大掃除したった。はー。すっきり。
取り掛かるまでに何日かかったのかしら。
1ヶ月?近く?わお。
なんとなしに一箇所掃除し始めたら、するすると次から次へと掃除する箇所が思いつくものだ。
まず電子レンジやら炊飯器を拭きはじめ、シンクの上にある、ざるやら何やら置いてある場所を拭き、小物入れをきれいにして、換気扇を掃除して、ガスレンジを掃除して、ガスレンジどかして掃除して、洗濯機の下を掃除して、各部屋のドアを拭き拭きして、部屋の隅を拭いて…という感じで、やりたいところは全部できたなあ〜
窓ガラスも拭こうかと思ったけど、これ以上やったら疲れちゃうので、これでおしまい。よし。いつもなら無理しすぎるところを、ここでおしまいにできるのも、成長である。
かくして、今年の大掃除は無事に終わりました。きれいになった換気扇の下で、一服。ふう、おいしい。
お母さんとのことも、時間が経つにつれて、自分の中に落とし所が見つかった。昨日、今年最後のメンタルクリニックだったので、心にある全部、先生との間に置いてきた。
お母さんとのことを話したら、「それは悲しいね」と言ってもらえて、よかった。
お母さんは、さっぱりしている。だから、わたしのさみしさには、気がつかない。お父さんがお家にいつもいる家ならよかったのだけれども、我が家はそうじゃなかったから、わたしのさみしさは宙ぶらりんになってしまったとのこと。
そうであるなあと思った。だから、まだ、こころのなかにさみしさが息をしている。
お母さんとわたしは、性質が合わない者同士だったから、わたしのさみしさは気がつかれず、そのまんまになってしまったらしい。「それは苦しかっただろうと思いますよ」と、先生の言葉。ありがたかった。
それでもわたしはお母さんが好きだから、冷たくすることも、放っておくことも、できない。それも先生はわかってくださった。嬉しかった。「難しいね」と言ってくれた。
「娘は母親に甘えることが多いけれど、あなたの場合は違うよね。お母さんは、よそのお家のことを知らないから、比較できないのでしょうね。」と言われて、そうか、わたしは、お母さんを大事にできている部類に入るのだと思って、ほっとした。
お母さんの望みは、叶えてあげられないけれども、それとは別の形で、わたしはわたしなりの方法で、お母さんが大事だよと、伝え続けていけばいいかなあと思った。
それで十分だよ、と、自分に言ってあげようと思う。
何はともあれ、今年はよく生き延びた。ほんとうによく生き延びた。それだけで立派であるよ、自分。読んでくだすっているみなさんも、今年1年、ほんとうにお疲れ様でした。