およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

ずっとずっと

今週のお題は「叫びたい!」。わたしが叫びたいのは、

 

うおおおお、無職!

 

でしょうな。やっぱり。

 

休養する、というのがこんなに難しいものだとは思わなんだ。仕事を辞めてから10日間、あっという間に過ぎたけれども、そうしているうちに「不安」がどんどん頭をもたげてくる。贅沢なことだ。

 

「不安」を感じるのは、不安を感じる時間の余裕があるからだ。時間の余裕、体力の余裕がない時分は、「不安」はこっそり姿を隠して、いろいろなところに影響を与える。いまはすっかり「不安」は「不安」の顔をして、姿を現している。手が震えたり、胃が痛くなったり、頭が痛くなったり、ご飯を食べると息苦しくなったり(意味がわからない)、思う存分暴れまわっている。

 

思えば、ずっとずっと不安だったのかもしれない。だから今、なんの制約もない幸運な状況に置かれたら、不安が思う存分顔を出しているのだろうと思う。

 

この不安との付き合い方の練習を、休養中にやっていくのがいいんだろうなあ。不安は厄介だから、すぐに焦りになるのだけれども、焦るとさらに不安を呼んでくるから、不安になったら、「ああ、不安なんだね」と、ひとりごちて受け止めてあげるのが大切みたい。

 

 

***

 

今日はこれから公園に行く予定。まずは同居人のペットちゃん(爬虫類、フトアゴヒゲトカゲ等)たちのために、ご飯をショップに買いに行く。そののち、デパ地下でおいしそうなものを見繕い、もう一度電車に乗って、公園まで向かう予定。今日は風もおだやかで、秋らしい日差しだ。鳥がよく泣いている。

 

昨日は夜、焼き肉をごちそうになった。無職なのに本当に良いご身分だと、自分でも思う。こんなに甘やかされていいのだろうか。よくない、だめだ、最低だ、と自分を責める声も聞こえる。しかしどうしょうもない。今は潔く甘やかしてもらっている。これから先、元気に少しでも近づいたなら、その時はしっかり自分もお金を払えることになるはずだ。そういう日を夢見ている。

 

お肉を食べてくちくなったお腹を抱えて、夜風に当たりながら帰った。金曜の夜、車も人もびゅんびゅん通って、でもどこかみな酔いどれの雰囲気だった。

 

緊急事態宣言、というのは、結構生活に影を落としていたんだな、と今更ながら思う。これから先、また同じ思いをしないで済むように、みんながこのようにして、自由気ままにふらふらできる環境でありますように、と、少し思った。

 

でも、あんまりにも酔っ払っている人は、怖い。酔っている人が家庭内にいない環境で育ったので、今でもあんまりにも酔っ払っている人を見ると、心底びっくりする。

 

わたしが育った家庭は、1年365日、みんなほぼシラフだった。そういうのって、よく考えると不思議だ。親のシラフの顔しか、わたしは知らない。心底酔っ払ったら、あの2人はどうなるのだろうか。もっともっと親しみやすくなっていたりして。