およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

歩行に難儀

今日は3時間ほどお外にいられた。とてもよくできたと思う。こうやって少しずつ慣らしてゆくのがよい。自分にさほど期待せず、環境をじっと見つめる。

 

東京は歩くだけで難儀する。駅に近づけば近づく程、ただ歩行することの難易度がぐんとあがる。わたしの体感では、駅前は「ハレ」の場所で、住宅街は「ケ」の場所。「ハレ」と「ケ」で、行き交う人々の数が大きく変わり、それによってパーソナルスペースも変動する。

 

わたしの住まう地域は、自転車移動も盛んな地域なので、尚更だ。来る人、追い越してゆく人、来る自転車、追い越してゆく自転車、それら全てを上手に交わして、ぶつからないように歩かなければならない。

 

早朝に主に活動しているわたしにとって、平日の出勤ラッシュの時間帯、平日の帰宅ラッシュの時間帯、土日のお昼付近などは、本当に難易度がSクラスになる。歩行のたびに緊張している。ぶつからないように、ぶつからないように、上手に歩かなければいけないと思えば思うほど、「できないよ!」と、ちいさな自分が暴れだす。ちいさな自分を腕に抱えて歩いている気分になる。誰の目にも見えない、駄々をこねるちいさな自分を、小脇に抱えて何食わぬ顔をして、歩く。そうしているだけで、大分に体力を消耗してしまうのだった。

 

わたしが快適にお外にいられるのは、今の状態だと、3時間が限度のようだ。3時間が近づくにつれ、なんというか、「外にいるための集中力」が切れてくる。集中力が切れると、周囲からの情報(歩く人、車、自転車、会話、電車の音、そのほか街に溢れるたくさんの音や気配)に圧倒されて、目が回ってくる。一刻もはやくお布団に帰り着かなければ、一刻もはやく横にならなければ、ということで、頭がいっぱいになってくる。周囲の環境を快適に思っている思考から、周囲の環境が苦痛になる思考へは、3時間という時間の経過があるということだ。

 

苦痛になっては元も子もないし、無理をすることが難しいので、今日も3時間ですたこらさっさと帰路についた。帰ろうとした時刻が、折しもちょうど正午過ぎくらいで、歩行にも難儀する時間帯に差し掛かっていたところだったから、早々と家を出て外を満喫できたことは、今日の正解だったなあと思う。

 

基本的に何でも午前中にやろうとしてしまいがちだ。起きてすぐ、起きてから数時間が、一番まっさらで、何の疲労もダメージも蓄積していないからだと思う。午後になると、一時休憩(昼寝)を挟まないと、回復できない。回復した(昼寝から目覚めた)とて、すでにもう日は傾いていて、わたしは夜の街が恐ろしいタイプの人間なので、そこから出掛けるということは、ほぼ、ない。必然的に、夕方からも家でぼんやりとしていることになるので、午前中に何かやってしまえる日は、とても充実した気持ちになる。

 

だけれど、今日から始まった療養の日々には、ほんとうはそんな区切りは必要ないのかもしれない、とも思う。焦って午前中に動かなくたって、1日というのは、仕事をしていなければ、十二分に時間がある。わたしは配偶者もこどもも居ないから、尚更だ。それだのに、さも忙しい人かのように、午前中にぎゅうぎゅう動いてしまう癖は、疲労を招くだけの気もする。でも、規則正しい生活というのは、どんな時分においても大事なことであるから、このままでいいような気もしていて、悩ましい。

 

ひとまずは、今日のように、毎日少しでもお外に出られたらいいな、と思う。家の中で、見慣れた景色に囲まれているだけでは得られない刺激が、お外にはある。それが快楽でも苦痛でも、刺激がまったくないのも、それはそれで淋しいものであるから。

 

 

 

 

*わたしのバンドの音楽を紹介します*

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