およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

クズになった日

はげしく今週のお題が更新されているけれど、今日はひとまずこれを書こう。

 

34歳、女、独身、貯蓄なし、うつ病持ち、無職になりました。

 

実家暮らしではありません。恋人もいません。なのに無職になりました。

それはわたしが、友人というガチャでスーパーレアな友人と出会っているから。友人がひとまず面倒を見てくださると言うので、大の大人がクズの極みだけれど、お言葉に甘えた。

 

そう、今の自分は、クズの極みだと思う。退職したい、退職したい、と上司に言い続け、引き止めて頂いて、何度も何度も欠勤を繰り返し、なんとかやってきたけれど、どうにもこうにもならなくなったので、今日、飛び道具を使った。本社の人事部に電話をしたのであった。

 

本社に電話をしたらあっけなく話は進み、折返し連絡をしてきてくだすった上司からは「退職届けを書いてもらおうと思っていた」と言われ、月曜日に退職届けを書きに職場に赴き、そこで健康保険証を返却し、後日クリーニングした制服を発送したら、それで全ておしまい、となった。

 

今までの数ヶ月は何だったのだろうか、とふと思う。が、辞めたい、という人間を引き止めてくださったこともまた、わたしがいわゆるガチャで幸運を引き当てていた、ということなのだろうと思う。

 

そんな職場を、わたしは飛び道具を使って、去る。どう控えめに言ってもクズであるし、どう控えめに言っても、人生の底、という気がする。

 

だけれど、どうしてか、今気持ちは晴れ晴れとしている。クズなのだ、わたしは。そしてここが人生の底(とりあえず現時点では)なのだ。こんなものが人生の底、と言えるだけで、大分にわたしの人生は恵まれている。ツイてないわけじゃないし、恵まれている。ラッキーな、クズなのだ。

 

クズになるところまでいくとは、正直思っていなかった。うつになっても、不安障害でも、どうにかやれると勘違いしたのがよくなかった。どうにもならないのだ。どうにもならないことを、引き受けなければいけなかった。引き受けなければいけなかったのに、引き受けることから逃げ、誤魔化した末がこの有り様だ。面倒をみてくれる友人という、スーパーレアな存在がなければ、ただ野垂れ死んだだけ。誤魔化したらやっぱりいけないのだ。自分のからだの声を、ちゃんと聞かなければいけなかった。もっとずっと前から、ちゃんと聞かなければいけなかった。

 

ちゃんと言うことを聞き入れてくれないと、からだはどんどん強烈にシグナルを発してくる。動けなくする。やたら不安にさせる。手を震えさせる。常に動悸をもよおす。呼吸をうまくさせてくれない。つらい気持ちでいっぱいにする。自分で自分を攻撃するような欲求を呼び起こさせる。全部、シグナルだった。それをわたしは、真剣に受け取らなかった。

 

その結果が、「クズになる」だった。はたして今日、ようやくわたしは、「クズだな」という感慨を受け入れている。繰り返し書くけれど、どう控えめに言っても、今日のわたしはクズで、明日のわたしもクズである。そして、人生の底なのだ。

 

だけれど、生きている。生かしてもらえた。ただのラッキーである。本当は野垂れ死にするのが妥当なところだ。でも、どんな運の良さかしらないが、わたしはこの命を生かしてもらうことができた。これに感謝しなくて、何に感謝するのだろう。

 

わたしは今日のことを、多分一生忘れないと思う。クズになった日。人生の底をついた日。それでも生かしてもらうことが、出来た日。こんな幸運、もうこの先、ないだろう。もう2度目はないだろう。それくらい、神様に運を頂いた気持ちでいる。

 

ここが底なら、底でしばらく泳ぎ方を練習すればよい。ここからまた、地上に出られるように準備させてもらえばよい。有り難いことにその環境を頂いたのだから、ここからまた、準備して、いちから始めればよい。今の自分はクズで、人生の底なのだから、これ以上悪くなることなんて、ないに違いない。きっとそうに違いない。

 

うつで人生が変わった。うつにいつかはなる、というか、なっていたのに放って置いたことが、まねいた必然の結果なのだ。同じうつでも、きちんと生きている方もいる。それは労働をしているとかしていない、とかじゃなくて、自分の人生に自分で向き合っている人々のこと。わたしはそれをしなかった。だからクズになったのだ。でも、クズになったことで、わたしは、さも初期設定に戻ったかのような気持ちでいる。

 

今までくっつけてきた様々なオプションを、全部はずしたのだ。オプションをはずした、まっさらな、ほんとうに何もない状態になった。職もない、金もない、ライブをしているわけでもない(人前に出るのがもう怖い)。わたしは何者でもない。何者でもないのに、生かしてもらえた。

 

ここから、人生が変わると思う。だってもうここが底だから。ここから上へ伸びようと横へ掘ろうと、さらに奥深く潜ろうと、それはもうわたしの「意思」だ。わたしはうつによって、わたしの意思をはっきり知覚した。わたしはクズだから、ここまでの状況にならないと気がつけなかった。今、気がつくことができた。これ以上幸運なことなんて、もう人生にはきっと起こらない。

 

明日から、療養の日々がはじまる。もう不安に駆られて、人に迷惑をかけるような選択はしないだろう。だってそれで失敗したのだから(今日辞めたのは、うつなのに、仕事がないことが不安で不安で焦って決めた仕事でした)。クズだからこそ、同じ失敗はもう懲り懲りなのである。これ以上クズになったら困る。

 

ほんとうにわたしは恵まれている。ほんとうにありがたい。生かしてもらえて、ありがたさしか、ない。