およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

小骨が取れる

思いもよらぬところから、答えが降ってくることがある。それをうまくキャッチできるかどうかは、その日の体調次第で、今日はうまくキャッチできたみたいだ。

 

ふと目にとめて開きっぱなしにしてあった、web連載のタブをじっくりと読む。ひと記事読み、おすすめにしたがって次に次に開いていったら、自分の言葉だけでは言い表せなかったものの正体に、突き当たった気がした。

 

正体に突き当たると、ずっと昔に言われて小骨のように引っ掛かっていた他者からの言葉が溶けてなくなった。事態は何一つ変わらないのに、心の奥に引っ掛かり続けたその言葉は雲散霧消した。

 

時間が解決してくれる、ということには、こういう事も含まれるのだと思う。今日、このタイミングで、それらの言葉に出会ったことが大切で、きっと一年前ではわたしは答えを掴み取ることができずに、ボールを見送り、他者から突きつけられた言葉は消えなかったのだと思う。

 

時間は偉大だ。事態が何一つ動いていなくとも、時間だけは過ぎる。時間が過ぎるということは、何一つ動いていないように表面が変化していなくとも、内実はちがうということだ。内部では、ずっと血が巡り、細胞が生き死にし、生まれ変わっている。だから、一年前の自分はもうここに居らず、あるのは、今この時間に息をしている、一年前とはほとんど他者に近しい「わたし」だ。

 

だから、今日、答えを受け取ることができたのだろうと思う。そしてまた、答えを受け取ったわたしは、他者の言葉が引っ掛かり続けていたわたしとも、ちがう。ちがう自分がもうすでにここにいる。