およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

眠れないときは布団をさすさす、にぎにぎ

今週のお題は「眠れないときにすること」とな。

己を振り返ると眠れないときは、ここしばらくない。なぜならお薬を飲んでいるので眠れる。お薬を飲まなかったらどうなのかは想像したくない。

 

たまに、お薬を飲もうとも眠れない日もあった。最近はとんとない。眠ることに全精力を傾けて一日過ごしているとも言える、気がする。常に「眠りたい」と思っているから致し方ない。「眠りたい」というか、「横になりたい」、だなあ。

 

眠れないときは、よく布団の感触を確かめていた。素足でシーツを触る。手でシーツを触る。夏ならタオル地のブランケット、冬なら毛布を口元までたくしあげ、それをにぎにぎする。体で布団の心地よさ(せんべい布団だけれども)を何度も確かめる。スマホでひたすら求人検索やら賃貸情報やらを見ることもあったし(趣味です)、更新されなくなるまでひたすらにTwitterのタイムラインを遡ることもした。でもやっぱりスマホはいじっていると物理的に腕が疲れる。だから、最近は眠れなくてもスマホをなるべくいじらない。腕が疲れるくらいなら、いさぎよく枕元に置く。

 

そういえば、YouTubeで「眠れるホワイトノイズ」を聞いていたときもあったな。ホワイトノイズってつまるところよくわからない音なのだけれど、「サー」って延々と流れてるやつ。これは比較的よく眠れた。自然音の長時間動画だと音に変化があって耳が持っていかれるけれど、ホワイトノイズはなんの変化もないから、耳にこれを流し込んで目を瞑っていると、いつのまにか眠っていた。でもあるとき、耳が痛くなってやめた。たぶんイヤホンが安いやつだったからだと思う。ホワイトノイズで耳を痛めるくらいなら、いさぎよくスマホは枕元に置く。

 

耳栓とアイマスクを試していたこともあった。耳栓は取れるしアイマスクはいつのまにかずれていた。これもやっすいやつだったからだと思う。結局いろんなことが気になるのでこれもいつのまにかやめた。いさぎよく棚の中にしまう。

 

そうして今は、眠れないときはなにもしていない。意図的に「なにもしない」をするだけだ。布団の感触をたしかめつつ、ただただ目を瞑る。眠ろうとも思わないほうがいい気がする。眠ろうと思うと余計眠れなくなるのは万人が知っている自然の摂理だ。意味がわからないが、眠りたいのに眠れなくて、眠ろうと思うと余計眠れなくなるように、なぜか人間はできている。

 

いい大人だから泣かないけれど、赤ちゃんなら思い切り泣いているところだと思う。いわゆる夜泣きっていうやつだろうな。大人の夜泣き。こんなに眠れないひとがいるならば、もし大人も夜泣きする生き物だったなら、相当な音量で街中が夜泣きで溢れかえることになりそうだ。

 

そういえば、泣くとよく眠れる気がする。これまた泣こうと思っても、都合よく泣けないんだけれど。泣きたいのに泣けない、も、万人が知っている自然の摂理だなあ。