およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

虚のはなし

今朝、黒人男性と目があった。

もうすぐ職場、というあたりで、ということは明け方の歌舞伎町近辺なわけで、黒人男性は座り込んでスマホをいじっていて、彼が見るともなく虚空を見上げた瞬間と、わたしが見るともなく虚空を見遣った瞬間がたまたま合わさって、目が合った。

 

そこで、なんとなく、わたしはニコッとしてしまった。

 

彼が「外国人」だったからだと思う。日本人、もしくは日本人としか見えないアジア系の方だったらば、わたしはおそらく目が合ったことも特に気に留めず、目を逸らしたし、目が合ったことすら記憶に残らなかった。

 

「外国人」で、道に座り込んでいる「黒人男性」だったので、なんとなく、ニコッとした。

 

「してしまった」と書いたのは、わたしがニコッとしたと見るやすぐに立ち上がり、素早い行動力でナンパを繰り出してきたので、「ニコッと」は不正解だったからである。

 

道に座り込んでいる黒人男性だからって、わたしは何を「見下し」(あえてはっきり、書かんといかん。わたしは見下していたのだ、彼を)、勘違いしたのか。彼に勝手に物語を仮託して(遠い国から出稼ぎにきているのかな、等々)、同情し、「見下し」て、結局はナンパされた。ナンパされた途端に、わたしが彼に勝手に仮託した物語は、わたしの中で「無意味」になった。こっちが勝手に仮託したのに、おぞましいほどにナンパされた途端に虚無になった。なんて勝手なことだろうと思うし、己の無意識を恥じる。

 

帰りに寄った喫茶店で、滔々と怪しい(と書かざるを得ない)商品販売の副業について、男性が男性に向かって親しげに会話しているのを聞く。どちらも身なりはきちんとしているのに、話の内容は、本当に、虚無。「副業の副業だと思ってもらえれば」という言葉の、実態のなさ。虚無だなあ。なんて虚な言葉と視線と会話。

 

虚なことはこんなにも溢れている。自分の中にも。他人の中にも。勝手に目から口から虚が出入りして、今日も1日が過ぎていく。虚でないものを見出す力は、生きていくほかに、培う方法はないのだ。きっと。

 

たった今、左腰が痛いのだけれど、よっぽど身体の痛みのほうが、実体がある、気がする。痛いのは嫌だけれども。実体、だいじ。