およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

フジロックがつらくて見られない

フジロックが辛くて、見ることができない日が来るなんて、思ってもみなかった。

なぜ辛いのか、言葉にしておこうと思う。2021年8月22日、14:53の、気持ち。

 

フジロックは特別だ。わたしは別に「常連」ではない。直接苗場に行ったことも1、2回あるだけだし、行ってみて思ったのは「(観客にとって)なんて過酷な環境なんだ」ということで、もちろん目当ての大スターの姿をこの目で(遠くから、小さく)焼き付けることができたのは得難い経験だったけれども、苗場に行ったときのことを思い出すときに真っ先に浮かぶのは、「雨がひどくて、寒くて、眠くなってきて、死ぬかと思った」だ。

 

苗場に行くまでは、カッパは「雨を通さないもの」だと思っていた。

でも、カッパはカッパでも、安い、コンビニで買うような「普通のカッパ」は、苗場の雨には勝てないのだ。カッパなのに、雨を通した。カッパを着ているのに、全身がどんどん水に浸されてゆき、体温を奪われ、うとうとし出して、「死」という文字が浮かんだのはあのときが初めてだった。カッパは、雨を通す。降り続ける苗場の雨には勝てない。それがわたしがフジロックで学んだことだった。

 

それ以来、苗場はわたしにはハードルが高すぎて(チケット代も、雨を通さないカッパを買うにも、たくさんのお金がいる)、直接フジロックに参加することはなくなった。

 

でも、これでもバンドマンの端くれ、フジロックのROOKIE-A-GOGOを夢見て、音源を何度も送った。一度も通らなかったけれど、親しいバンドマンが別のルートでフジロックに出演しているのを目の当たりにして、「そんな方法もあるのか…!」と、意外と頑張っていれば、そして縁とタイミングさえ合えば、「いつか」出られる日が来るんじゃないか、と、思っていた。

 

2019年は、youtubeフジロックを楽しんだ。コロナの影も形もわたしたちが知らない頃。家のパソコンでフジロックをつけっぱなしにして、「お家でフジロック最高!雨がしみてきて、死の心配をすることもない!」と、現代文明を謳歌した。フジロックのみなさんありがとう、そして出演しているアーティストのみなさん素晴らしい時間をありがとう、と、ただただ快適に音楽を楽しみ、拝み倒していた。

 

2020年は中止だった。そして今年、2021年8月22日のわたしは、一昨日から始まっているフジロックを一切見ていない。一度もyoutubeの画面を開くことが、できない。

 

辛いのだ。どうしてもどうしても、何かが心にひっかかって、今年のフジロックを直視できない。それが画面越しでも。どうしても、どうしても、フジロックの欠片を自分の目や耳に入れることが、できない。

 

オリンピックもそうだった。開会式こそ見たけれど、そのあとの競技は、ほぼ全く見なかった。これも同じ。辛かったからだ。パラリンピックも多分そうなってしまうだろうと思っている。辛くて、辛くて、見ることができない。

 

オリンピックもパラリンピックフジロックも、それ以外すべてのイベント、なんでもいい、イベントだけじゃなくてもいい、集団でわいわい飲んでいる人々でも、それはわたしの中で同列で、自分が感じている「現実」と、同じ世界だと思えなくて、同じ世界のはずなのに大きな隔たりを感じて、好きだったものをまっすぐに好きだと、それが行われている現場であけっぴろげに表明すること自体がもう、今、目の前の現実とずれていて、そのずれが、断絶が、苦しい。

 

そしてこれが、いつ終わるのかもわからないことが、苦しさに輪をかけているように思える。

 

そしてこれが、誰のせいでもない、誰のせいでもなく、今の人間では一発で消し去ることができない「ウィルス」によってもたらされたものであるということが、苦しい。

 

ウィルスによって苦しい。そしてそこから生まれる断絶が苦しい。わたしが感じている「現実」と、同じ世界にあるはずの、オリンピックのパラリンピックフジロックのどこかのイベントの集団で飲み会をしている人の「現実」が、ずれていることが、苦しい。そして、たぶん、かなしい。

 

それぞれがそれぞれの正義を持ってして、生きていくしかないことはわかっている。どんなイベントだってそこには仕事があり、それによって賃金を得て生活をしている人がおり、そんな人達を、一体どの口が糾弾できようか。

 

この断絶は、このズレは、いつ終わるのか。

 

世界がいつでも一枚岩ではないことなんて、とっくに知っている。今このときだけ、わたしの「現実」とあなたの「現実」が一緒じゃないわけじゃないことも、わかっている。

 

でも、苦しいよ。わたしは、苦しくて、さみしい。

 

どうしてここまでになってしまったのか、元を辿ったら一体どこに行き着くの。それはこの国を動かしている、政治、になるんじゃないのかな。やっぱり。違うかな。わたしはそう思う。

 

政治家を敵だと言いたいんじゃない。敵じゃないから。わたしたちが選んだ代表だから。だから、してほしいこと、してほしくないこと、ちゃんと聞いて欲しいって言いたいし、ちゃんと聞いて実行してほしい。してきてくれたこともちゃんと見ながら、それでも、ここをもう少しこうできませんか、と、「声をあげる」ことをしないと、世界はどんどんずれていく。そして歪んでいく。きっと、多分。

 

だから次の選挙も、必ず行こうと思う。フジロックが辛くて見られないなんて、もうごめんだよ。ふつうに、楽しみたかった。出演しているアーティストの方々にも、スタッフの方々にも、めいいっぱい楽しんでほしかった。もちろん参加しているお客様方にも。

 

それは他のイベントも同じ。オリンピックもパラリンピックも、集団で飲み会をしている人たちにも、なんの気兼ねもなく、楽しんでほしいし、楽しんでほしかったよ。でも今は、それを見ると、わたしは、辛い。こんな思いは二度とごめんだよ。かなしいよ。さみしいよ。

 

だから次の選挙、秋って言われているけれど、どうか、みんな、選挙に行こう。わたしも行くから。あなたも行ってほしい。わたしたちの代表を選ぼう。わたしたちが選んだ代表なんだから。いま、この世界を仕切っている人も。