およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

主語がでかいときは

眠たい。とても眠たい。

眠い、よりも、眠たい、のほうが、より睡魔が強いように感じられる。知らんけど。

 

眠たいから、眠気覚ましに書くとしよう。ココアがよくなかったのかもしれない。血糖値爆上がりである。朝4時前から起きているからかもしれない。その両方だろう。

 

いま、全く降りたことのない駅の、でも馴染みのチェーン店で時間を潰している。チェーン店の良いところは、知らない街だろうが、もしくは知らない国であろうが、一歩中に入ってしまえば、其処はもう「知っている場所」だと言うことだ。

 

チェーン店なんか好きじゃない、一期一会の、其処にしかないお店を楽しみたい、という向きもあるだろうが、こと己においてはそういった欲求がほぼほぼ、無い。むしろ、慣れ親しんだチェーン店を積極的に探してしまう。コロナが流行り出してからは、とんとそんなことはなくなったが、「行ったことのない店に行こう!」などという理由で外に出るのは、親切な他人がわたしを連れ出してくれる時だけだ。

 

滞在しないで済むのなら、買い物だけで良いのなら、知らない店にわざわざ足を運んでいたこともあった。思い出した。1枚¥50という、安いか高いか良くわからないけれども、とにかく美味しいクッキーを買いに、いそいそと出掛けたことがあった。SNSでずっと気になっており、出掛けて実際に目にしたそのお店の佇まい、1人で切り盛りしているであろうにきっちりと清潔に、そしてかわいくディスプレイされた焼き菓子たちに、どれだけ心踊ったことだろう。

あれは、本格的に働き始める前の、白昼夢のような時間だったと思う。ふわふわと夢心地で、でもその白昼夢が許される締め切りは決まっており、その締め切りよりもうんと前に、わたしは、白昼夢から出て、世界に戻った。

 

主語がでかい。主語がでかい時は、大抵、見たくないものを見た時だ。この知らない街に来るまでの、電車内での出来事。どうして気がついてしまうのか自分でもわからないけれども、女性をわざわざ眼差すためだけに、他に空いているところはいくらでもあるのに、女性のまん前に立ったサラリーマン。女性はたしかに、ゆったりと座っていた。スカートも短かった。おへそが見えそうなタンクトップだった。きちんと綺麗にすべてが整えられていた。スカートの隙間からすらりとした足が伸びていた。その足は何も纏っていなかった。わざわざ真前に立った、と、わかったのは(思ったのは)サラリーマンの頭部がちょくちょく下を向いていたからだ。スマホはいじっていなかった。それでもちょくちょく下を向いては、なんの気無しに上を向き、また、自然を装って下を向く。向いた眼差しの先に何があるのか、対面に座っているわたしは知っている。お前の頭部の動きは、自然でもなんでもないぞ。後ろから見ればよくわかるぞ。スカートの隙間を、そこからすらりと伸びる足を、眼差しているのが、わかるぞ。

 

件の女性とサラリーマンは同じ駅で降りて行った。わたしは嫌な予感がしてずっと視線で追った。女性はスマホをいじっているので何も反応していない。でもサラリーマンは同じ駅で降りた女性を、じっと見つめながら歩いている。じっと見つめ、また目を逸らし、また見つめるの、繰り返し。全然自然じゃねぇ。

 

眼差された女性が平気なら別に良いのだ。眼差しはきっと「自由」の範囲なのだから。これは罪ではない。罪ではないけれど、わたしの妄想なのかもしれないけれど、わたしは、こういう類の「眼差し」がひどく苦手だ。ひどく嫌いだ。もっとはっきりと嫌悪の正体を突き詰めれば、こういう「眼差し」を、わたしは、怒りの対象にしてしまう。

 

いつからそうだったのか、もはやわからない。自分は眼差されないのだからいいじゃないか、と、頭の半分で誰かが言う。でも、と、もう1人の自分が答える。

 

なんで、好きな服着てるだけで、そんなふうに眼差されなきゃならんのん?わしゃ、こういうとき、この世界が大嫌いになるんよ。

 

主語がでかい。こういうときは、かようにして、何か太刀打ちできないものに怒るか、悲しむか、傷つくか、しているときだ。いや、全部。怒って、悲しんで、傷ついている。

 

何の脅威も恐れも感じずに、すらりとした足を、いや、素肌を、露にできる世界のほうが絶対にいい。それは、どんなジェンダーでも。

 

なんてことを考える。眠たい頭で、目を開けたふりをして、世界を今日も見つめることができない。できないなあ。