ニアリーイコール「執着」
あるはるかのさえぐさです。
ほっといてもやること、がある。ほっとくとやらないこと、もある。ほっといてもやること、は、恐らく、自分が「好きなこと」なのだろうと思う。
けれど、「好きなこと」だからといって、ただ楽しくあっぱらぱーというわけではない。「好き」(と一般に呼ぶしか言いようのないもの)は、ただ「楽」を連れてくるわけでは、決してない。
好きだから苦しい。好きだから悩む。好きだから手放せない。好きだから気がついたらやっているけれど出来が気になる。好きだから誰かに見てほしい。でも、好きだから他人の評価はもらえれば有り難く頂戴するけれども、他人の評価がなくとも、やめることがない。やめることができない、と、思う日もある。
ほっといてもやること、の「好き」は、己の身に置き換えてみると、もしかしたらこの2文字なのかもしれない。
「執着」。
執着と好きは、己の中で、ニアリーイコールなのだろうな。夏の朝、蒸し暑い部屋でひとり歌いながら思った。