やじろべえが立つセンターライン
あるはるかのさえぐさです。
またTwitterをあんまり見なくなってしまった。開会式にまつわる諸々の事柄が起きてから、Twitterを見ていると、訳がわからなくなっていくので、見るのをやめてしまった。
Twitterはわたしに知らない世界をもたらしてくれる一方で、知らなくてもいい世界ももたらしてくれて、両輪をちゃんと見ているつもりでも、結局は恣意的にわたしが選んだタイムラインに過ぎず、目の前の現実とはうまく結びつかないことが多い。
ただ、本来だったらわたしが知るはずのなかった「小さな声」を聞くことができるメディアだと思っている。大きな声は放っておいてもどこかからどんどん流されてくるから、そうではない声を見つけたときに、はっとする。
本当は、わたしが目にしている時点でそれは「小さな声」ではないのかもしれないけれど。もうこの社会で、センターラインを見つけようとすること自体が難しいのかもしれない。
でも、とも思う。
やじろべえのように、センターライン(と思いたい)場所で左右にぐらんぐらん揺られ、揺られた頭で考えることが、生きていくことなのかもしれない。
目の前を羽虫がぐるぐると旋回して上昇していく。中央線の車内は、相変わらず、適度に混んでいる。