躯体
歌声を奪われた歌姫はただの姫になり
年を重ねやがて躯体だけが残る
躯体はまだ息をし、
死ぬことを知らない
歌声を奪われ姫でなくなった躯体に
呼びかける名を他者は持たない
呼称のない躯体はただそこに「ある」
呼称のない躯体はそれでも息をするし食事をする
かつて他者の鼓膜を、おのれの頭身を揺らした声帯は会話のみに使われるが
他者はこの躯体に呼びかける呼称を持たない
ゆえにこの躯体から発せられる声は、言葉にならず、他者の鼓膜をうすく摩るだけで、その鼓膜を揺らすことは「ない」
躯体は名を持っている
生まれた時に名付けられた名を持っている
だがしかしそれは他者には認められない
何時の間にか
何者かの(あるいは自己の)手によって葬り去られた
かつて姫に、遡れば姫にすらなる前の、他者が躯体を少女と呼称することが出来た時分には
存分に他者の声帯を震わせ
呼びかけられたほんとうの名を
女である時分にも、まだ辛うじてほんとうの名は生きていた
姫になり、歌姫になった時分にも、躯体はほんとうの名を捨てたわけではなかった
しかしこの頃から他者は躯体に、ほんとうの名で語りかけることは、なくなった
誰の声帯も(己の声帯も)震わせることのなくなったほんとうの名は、身を潜める
潜めるうちに息をしなくなった
そうして何時の間にか
何者かの(あるいは自己の)手によって葬り去られた
忘れられた、のだ
歌を奪われ姫でなくなった躯体を他者は規定できない
規定できない存在に呼称を与えることができない
ゆえに残るのは躯体
躯体だけが「ある」
躯体だけがまた年を重ねる
再び己の声帯を震わせるのは
ほんとうの名以外にあるはずがない
躯体の声帯は待っている
生まれた時に名付けられたほんとうの名を
躯体が声高らかに宣言することを
他者の規定を待たずに
そこら中の空に鳴り響くように宣言することを