およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

ソングをシングしたい人生のために

あるはるかのさえぐさです。

 

メロディが思いついてもコードがつけられない、という状態で宙ぶらりんのまま生きてきた。コードをつけるのは同じバンドのメンバーの岸田くんのほうが、遥かにセンスがあるからだ(それがなければ一緒にやってない、プラス人間としてもとても信頼できるからやっている、向こうがどう思っているのかはわからん)。

 

メロディとコードを岸田くんが作るほうが遥かに質の良いものができる。そしてリズムは岸田くんとこまつが相談して決めて、そこに、岸田くんに書いてもらったコード譜を見ながらピアノを加えてゆく、というのが、あるはるかの1番基本的なスタイル。

 

コード自体は見ればわかる。でも、思いついたメロディにコードをつけることができない。邪魔をしていたのが、ピアノを習っていた経験で、クラシックの音の考え方と、ギター的な、ポップミュージック的な、コードの考え方っつーのが、がちゃがちゃになり、今日まで放置してきた。

 

でも、大器が晩成したから、やってみることにした。もうどうでもよい(いい意味で)。岸田くんに借りた膨大なコード進行に関する本をペラペラめくっただけで、胸のつかえが削られていくのがわかった。

 

出来ないことがある、それが怖かった。そういう自分でステージに立ってピアノを弾いているのが怖かった。言葉をつけることはいくらでも何度でもできるし、歌をうたうことの精度をあげたかった。だから10年そうした。

 

その続きの今、歌が爆裂に上手いわけではない(歌の上手い人というのは、本当に世の中にたくさんいるんですよ、残念ながら)。でも、「歌える」ようにはなった。上手いかどうかなんかは、もう、よう知らん。上手いかどうかでなく、わたしは、ソングをシングしたいのだ。

 

そのためにこの胸のつかえを今、削りに行くべきだと言っている(誰かが何度も強く言う)。だからそうする。今、怖いと思っているものの正体を分解し、理解し、手技として身につけるために、時間を使うべきだと、強い言葉が聞こえる。

 

出来ることと出来ないことがある。わたしはもう、自分が出来ないことは嫌というほど見てきた。うんざりするほど見てきたし、うんざりするほどその中で、生きてきた。でも、これは、「出来ないこと」ではない。「出来ること」だ。センスがあろうがなかろうが、「メロディにコードをつけられるようになる」は、「出来ること」だ。

 

だからやる。それだけだ。ものをつくる人でいるために。