大器晩成
大器晩成、と、大抵どんな占いにも書かれてきた。そういう星なのだそうだ。だから納得してきた。様々な結果に納得してきた。熟していないのだ、達していないのだ、何か足りないのだ、今ではないのだ、まだ「成長」しなければならないのだ、そのためにはまだ時間が足りないのだ、スキルが足りないのだ、計画が足りないのだ、熱意が足りないのだ。
足りないものをひとつずつ見つけていくうちに何が足りており何が足りてなかった、または今現在足りていないのかが不明瞭になった。
残されたのは、「大器が晩成するのはきっと今じゃないんだ」(日本語として正しいのかは知らんが)という、いつやって来るとも知らぬ「いつか」への、飢えと呼んでも差し支えないような渇望で、羨望で、「いつか」があっという間に(というように私には見えた)やってきた他者への、ほぼ憎しみと呼んでも差し支えないような嫉妬心だった。
「いつか」は、「今」なのかもしれないと、うすうす気がつき始めている。
「はいおめでとうございますあなたの大器はたった今、たった今ですよ、晩成しましたおめでとうおめでとうおめでとう!」という他者からの宣告など、通達など、合格の花丸など、存在しない。
例えばそれが名の知れた勲章だと思っていたんだろう。そう思う方が楽だし自然だからだ。勲章さえ獲得すれば、自己の紹介の手間が自然と省略される。勲章が自分を現すカテゴリーになる。肩書きになる。社会の居場所に、なる。
けれども。わたしはうすうす気付き始めている。「いつか」は「今」なのではないかと。恐らく「いつか」は「今」で、他者からの勲章を得たときが「大器晩成した」ときでは、ないのだ。
もう正体を知っている。わたしはわたしの正体を知り始めている。貪欲な、傲慢な、ありふれた、わたしの正体を知っている。だからうすうす気付き始めている。
「いつか」は「今」で、大器はすでに晩成し始めている、と。