およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

金にならない感受性

あるはるかのさえぐさです。

 

作った短歌を手直ししていたら、もう目的地の駅までの中間地点に来てしまった。

 

今朝みた、むらさきのアジサイを、お尻の黄色いアブ?蜂?がついばむ姿が良かった。これを短歌にしたいなと思う。字数が限られている中で、目に映った景色を、それを見たときの気持ちを、どうしたら素直に書き起こせるのか、頭の中でぐるぐる言葉を並べ替え、引っ張り出して、組み替えている時間は、世の中の何の利益にもならないけれど、わたしがわたしでいることにとって、どうも、大分、必要らしい。

 

よく、自分のことを、「金にならない感受性だな」と唾棄する瞬間がある。泥を纏ったみたいに身体が重くて、息が浅くなっているとき、わたしはわたし自身に唾を吐きかけている。

 

でも、今朝のような、むらさきのアジサイにたまたまお尻の黄色い虫が居た、そういう一瞬が、今朝、あの瞬間にあった、という「事実」が、唾棄したはずの感受性を揺さぶり、頭の中で言葉が転がる。

 

だから結局いつも、金になろうがなるまいが、書いたり、歌ったり、している。世の中の一定ラインから存分に零れ落ちて、うつくしかった瞬間を、何度も反芻している。