母の日、いびつな、滲み
母のための日の、母の日。母のことは、いつも思ってる。5月は母の日で、母の誕生日で、わたしの誕生日。毎年5月が近づくと、何をあげようかな、何なら喜ばれるかな、と、考える。
今から思えばおかしいけれど、一時期は、母の日、母の誕生日、クリスマスプレゼント、全部あげてた。
母だけじゃかわいそうだから、父の日、父の誕生日、クリスマスプレゼントは父にもあげてた。本当は弟2人にもあげたかったけど、お金がキツくて、やめた。
プレゼントは、あなたを大切だと思っているよ、の表現で、本来はそこで「終わる」べきものだと思う。父へのプレゼントは、弟へのプレゼントは、それでちゃんと終われる。でも、わたしの母への「プレゼント」は、どうして、そこで「終われない」んだろう。
単身赴任中の父、三人兄弟全員家を出て、母はいま、家にひとりでいる。正確には、老猫と老犬と、まだ若い猫と、4人。みんな女の子。
犬と猫2匹に囲まれて、ひとりで食べるごはんはちゃんとおいしいかな。パートをしているから、完全にひとりぼっちじゃないけど、大丈夫かな。そんなことを思いながら、思い過ぎながら、今年もプレゼントを選んだ。
せっかくだから、ちょっと良い(ちょっとだけお高い、伊勢丹で選んだ)甘いものと、母が食べたことのないような、でもちゃんと美味しい外国のお菓子(カルディで選んだ)を贈った。
ゴールデンウイークも仕事で父は帰ってこないから、母と事前に日程を決めて、せめて電話だけでもしようね、と約束して、それが、今日。
電話は30分で終わった。急遽父が帰ってきたからなんだけど、だいたいは弟の話で、何度宅急便を出しても受け取らない、だらしない、○○はいくつになってもあのままなのかも、ほんとにそういうところがある、云々。
そうだね、そうだねと同意していた時に、
「○○は昔からああいうところがあるから憎めないんだよね〜」
と、母は言った。
お母さん、私が送った母の日のプレゼント、今朝、配達完了してたんだけど、見てくれたかな。食べてくれたかな。それは、あんまり、どうでもよいことなのかな。どうでもよいことなんだろな。
プレゼントは、あなたを大切だと思っているよ、の表現で、そこで終わらせなければいけないんだよ。ちゃんと終わらせないといけないよ。望んじゃだめなんだよ。
でも。
大喜びじゃなくてよかったの。ただ、ただ、普通に、「届いたよ」って、言って欲しかった。電話を切る直前になって、わたしが聞くんじゃなくて、自分から、母の口から、言って欲しかった。
「あなたからのプレゼント届いたよ」
プレゼントは、あなたを大切だと思っているよ、の証。わたしの、母へのプレゼントは、いつだって歪だ。
あなたのことが大切だよ、を、言って言って言って言って、言って。きっとそれが、包装紙の合間から、滲んでる。滲んで、滲んで、でも母の手元に届く頃には、消えてなくなってるんだ。