およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

向いてない、は、やさしいことば

あるはるかのさえぐさです。

 

何日か前、Twitterをみていたら(最近少し見るだけならできるようになった、よかったねー)、人類学者の磯野真穂さんが、こんなことを仰っていた。概要だけ引用する。

 

自信のない人の話をよくよく聞くと、自信の持てない「A」という物事について、未体験の人が多かった。それは「自信がない」のではなくて、「やってない」。

 

磯野さんのやさしいところは、以下に続く部分だ。

 

これに加えて、どう工夫しても、何度やってみてもうまくいかない「A」について自信がないなら、多分それは「自信がない」のではなくて「向いてない」。自信がない、を解体することで、身動きができない状況を解体することになるかもしれない。

 

磯野さんの、たった140文字の数ツイートで、肩の荷がおりた気がした。「向いてない」という選択肢があることを、結構すぐに忘れる。というか、いつも忘れている、多分。

 

向いてないは、逃げではない。向いてないは、事実。事実なんだけど、自分が向いてないことを軽やかに(実際は血の滲むような努力が裏にあったとしても)やっている他人を見ると、まぶしさで目が潰れる。まぶしくて苦しくて己の妬みがしつこくわめく。その喚きばかり体にいっぱいになって、いつのまにかそれは「責め」に変わる。ずっとずっと自分を追い立てる。「責め」はしつこく、うるさく、日々を「焦り」に変えていく。焦りが根底にある毎日は、息が苦しい。口呼吸のまま、肩を上下して、みぞおちに積もっていく嫌なもの。でも嫌なものの解消の仕方がわからない。ずっと、わからなかった。

 

向いてない、は、嫌なものをそっと掬い上げてくれるような言葉だった。

 

向いてない、ということが、タイミングによっては大きな傷になることもあり得るけれど、今の自分にとって「向いてないことがあってもよい」という当たり前の事実は、とても、やさしかった。

 

磯野さんと出会ったのは、「急に具合が悪くなる」という本だった。本当に良い本なので、機会があったら、ぜひ、読んでみてほしいと思う。