およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

手のかかる子ほど

風で葉が擦れる音か、雨か区別がつかなかったので、匂いをかいだ。雨だった。

 

朝から母の日のプレゼントを選んでいる。ひとに何かをあげることはいつも楽しい。母に対しては屈折した気持ちがあるので、たいして喜んでくれなかったりすると(母は正直者、でも子供の頃の私も相当嫌な子供だったから仕方ない)傷つくけど、でも、5月はわたしにとって大切な1ヶ月。

 

母が生まれた日があって、母の日があって、私が生まれた日がある。

 

母と同じ月に生まれた、という事実は、ながらくわたしを大事に守ってくれている。だってなんか兄弟の中でも特別な感じがしたから。わたしはおかあさんと同じ月に生まれたの、だから特別、きっとそのはず、みたいな。

 

兄弟みんな平等に、っていうのは、そりゃ理想だけど、手のかかる子ほど思い出は多かろうし、こどもが反抗期やらで嫌な性格の時期は、親だってこどものことを「きらい」「つかれた」「はなしたくない」って思うことも仕方なかろうと思う。だって人間なんだもの。

 

どこまで言ってもちがう人間だから、理解できることとできないことがあるのも仕方がない。血が繋がっているからわかる、なんてことは、絶対ない。

 

ただ、見た目のフォルムがなんとなく似通っているから、言語を超えたところで、わかったりわからなかったり、そういう機微を感じ取る場合はあるのかもしれない。

 

わたしは自分の顔に、母に似ている箇所を探していた。たぶん頬のあたりが似ている。骨格というか。あとは、歯並びと、手。それから、話し方。

 

ほんとうはもっと「お母さんにそっくりだねえ」って言われたいって、よく思っていた。でもわたしが言われるのは反対の言葉。

 

「お父さんにほんとうにそっくりだねえ」

 

父にももちろんプレゼントをあげるけど、やっぱり母の日のプレゼントは、たくさん考えて選んでしまう。だって5月は、母が生まれた月で、母の日もあって、わたしも生まれた月だから。

 

こどもだって、どっちの親も平等に好きなんてこと、ありえない。どちらかに肩入れしてしまうのは、仕方ない。そしてこの場合も、軋轢の大きいほうの親との思い出が、積み重なっていくのだ。

 

今年は何をあげようかなあ。