判官贔屓
中学生のころ、授業中に先生に、
「お前は判官贔屓だな」
と言われた。
何の授業で(たぶん国語だったんだろう)言われたのか思い出せないけれど、時たまふと、この言葉を思い出す。
「お前は判官贔屓だな」
どんなに嫌な人でも、どんなに仕事ができない人でも、その人が周囲からあからさまに、またはこっそり、嫌がられていたり、小馬鹿にされている状況を見聞きすると、心が揺れてしまう。(国政などの話をは別、自分の半径5メートル以内の話。)
その人が、そのように周囲から思われるに足る理由はこの目で十分見てきたし、実際にわたしだって、会話の中で、嫌な思いを何度もした。この人は、こういうことを口に出してなんで平気なんだろうと、本当に不思議で仕方なかった。
仕事が抜けていると思われるひとの担当場所は確かに必要以上に資材が溢れているし、何度注意されてもそれが直らない。
それでも。
なぜなんだろう。いつも心が揺れてしまう。言われるに足る理由があると、その人を心の中で切り捨てられない。すこしの悪口に参加したときの自分の姿があたまのなかで、わんわん木霊する。おまえも笑ってたじゃない。
でも、でも、でも、でも、と、今日は思ってしまった。本人は気にしてない。気にしているひとならとっくにこの職場を離れてる。それだのに、他人のわたしが勝手に心を揺さぶられている。
先生、本当だね。わたしは判官贔屓です。どうしたら揺れは収まるのかな。どうしたら揺れないようになるのかな。そもそも、揺れたらいけないのかな。