およぐ、およぐ、泳ぐ

不安障害です。日々のことを書いていきます。

コンテンツ、コンテンツ、コンテンツ

あるはるかのさえぐさです。

 

現在午前10時。休みの日でも結局いつもの3時半に起きた。アラームが鳴る前に目が覚めてそのまま今に至る。朝、山の向こうにコーヒーの風味がする薄めたコーヒーをのみ、胃薬と決まった薬を飲み、タバコを吸い、ラジオを少し聴いた。

 

昨日頼まれたことを朝にやり、なんとか形になった(と思う、わからない)を先方に早朝に送りつけて、ほっとした。どうなるかはわからないけれど、誰かの何かの役に立てたならそれでいい。

 

その頼まれ事きっかけで、なんとなくの気持ちで副業の検索をし、すぐにアプリを閉じた。わたしのやれることと言えば、歌うことと、こうして何かを書くことだけれど、誰かに頼まれるためには、こんなにも己をコンテンツとし、主張しなければならないのだな、プロデュースをし、魅力がわかるようにプロモーションをしなければならないのだな、と、すぐに察した。

 

突然の振り返りというか、単純に、そう短くはないバンド活動を振り返って、いま思うのは、わたしには、プロデュースの能力、そこに楽しみを見出す力がなかった。プロモーションに対しても全く同じことで、それは、私の性格、3人の気質によるものなんだと思う。

 

ものをつくることは大好きだ。つくったものは、コンテンツなんだろうと思う。でも私自身は、コンテンツではない、という意識。それは、今の時代とはマッチしないんだろうな、と思う。

 

コンテンツを目指してコンテンツを作る、コンテンツになれる人、というのは、そういう気質や能力、そこに力を割くことができる人だ。そして私はできない人だった。それだけの話なのだと思う。

 

できないことをできるように振る舞っても、リスナーのみなさんは馬鹿じゃない。わかってしまう、ステージの上では、何もかも。ちゃんと全部出るから、ものをつくるというのは恐ろしく、そして楽しいのだと思う。

 

私にはできなかったことを、(血の滲むような努力をして、または自然に)できている人のことをまぶしく思う。とても。

 

でも。

 

コンテンツにならない人間がいてもいいんじゃないかと、思う。コンテンツを目指してやっているわけではなく、結果としてコンテンツになったなら、それは自然な成り行きだ。だからradio talkは続けている。

 

私はコンテンツではない。あなたもコンテンツではない。それでいいと思う。そうじゃない生き方があってもよく、すべてをつまびらかにSNSに載せる必要もなく、ただ、生きていくことをこそ、やめずにいられれば、上等なんじゃなかろうか。

 

わたしのつくったものはコンテンツ。わたしたちのつくったものはコンテンツ。あなたのつくったものもコンテンツ。でもわたしたちやあなたたちは、コンテンツでは、ない。そう思いたい。